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あぁ、大事なのかしらって 1


「彼女いるんですか!?」
 衝撃の事実に美香はバケツを取り落とし、それを拾い上げた麻生佳奈美が微笑みながらうなずいた。
「誰!? 誰が彼女なんですか!?」
「しーっ。声がおっきいよ」
 佳奈美は、二年生の中でも特に可愛いと評判の先輩。美香と同じく、サッカー部のマネージャーだ。気立てもよく、気取ったところがない。美人なので男子に人気だ。だから、てっきり佳奈美が、彼女なのではないかと、そう思っていた。
 妹尾叶の。
 妹尾叶はサッカー部のエースで、佳奈美と同じく二年。芸能人が参りましたと平伏するような美少年だ。明るくて、人懐っこい弟キャラかと思えば面倒見もいい。ミーハーなところのある美香はもちろん、ほとんど全ての女生徒が、新入生歓迎会の部活動紹介で、サッカー部の呼び込みをしていた彼に骨抜きになった。
 サッカー部にはマネージャーの申し込みが殺到した。恐ろしい倍率の中で美香がマネージャーになれたのも、奇跡的といえる。美香は、彼を側で見られるという立場だけで幸せだった。それを佳奈美に漏らし――彼女が、私も実はそうなのと笑って、美香は彼女が彼の恋人ではないということを知ったのだ。
「私、てっきり麻生先輩がそうなんだって、おもってました……」
「よく言われるの。でも、サッカー部のマネージャーだから、話することが多いっていう、ただそれだけなのよね」
「本当に、なんともない?」
「うん。なんとも」
「どうして告白しなかったんですか? 麻生先輩なら、絶対……」
「告白したけど、ふられたのよ」
 さびしそうに笑った佳奈美を見て、美香はあわてた。彼女のような美人なら、絶対どんな男も――妹尾叶だって、二つ返事に付き合うことを承諾すると、思ったのに。
「妹尾先輩には、本当に彼女が…?」
「んー。彼女なのかしら。実をいって、私にもよくわからないの」
「……なんなんですか? それ。じゃぁ、妹尾先輩に、好きな人がいるっていうことですか?」
「うん。多分。でも妹尾君、それが恋愛感情なのかどうなのか、よくわかっていないような、そんな気も、するのよね」
「……私、よく分からなくなってきました」
 最初、佳奈美は言ったのだ。妹尾には、彼女がいると。
 だが話を進めると、彼女なのかわからないという。佳奈美が何を言いたいのか、さっぱりだ。
「その、人が誰かは、先輩わかってるんですか?」
「判ってるわよ。知ってる? 私と妹尾君のクラスメイトで、委員長って呼ばれてるんだけど……散里さん」
「……誰ですか? それ」
「あーやっぱりこれじゃぁわからないか。えっとねー。じゃぁ、試合のときに、ウチの監督がお昼ご飯を頼むパン屋さんの」
「あぁ! あの先輩!」
 商店街のパン屋の娘だとかで、試合の際の昼食をよく配達しに来る。同じ高校だとは聞いていたが、妹尾や佳奈美と同じクラスだとは知らなかった。
(……あの人が?)
 いっては悪いが、美人かどうかと尋ねられると疑問が残る。常に気難しそうな顔をして、眼鏡をかけている。今時、高校生なら少しは髪の色を抜いたり、化粧をしたりするような気がするのだが、そういったことは一切ない。言葉数は少なくて、昼食のサンドイッチをマネージャーである美香たちに引き渡す際、よろしくおねがいしますだとかなんだとか、一言二言お決まりの言葉を交わした程度だ。確かに、その際に浮かべる微かな笑みが、かわいらしいといえばそうかもしれないが。
(あの人が?)
 あの妹尾叶とは、あまりに不釣合いな気がした。
「信じられない」
「でも、信じるようになるわよ」
「そうなんですか?」
「見ていれば、わかると思うの。誰もね、はっきりとは妹尾君にきいたことはないのよ。でもね、皆、うすうす思っていると思うの。あぁ……大事なんじゃ、ないかしらって」
「……そうなんでしょうか?」
「えぇ。あ、でも、秘密ね。これは、うちの部内だけの、秘密」
 桜色の唇に人差し指を当てて笑う佳奈美に、美香は憮然とした。どうしても、彼女の言うことが信じられなかったからだった。


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