泣かすなよ馬鹿
ビルの一階に入ったカフェは、昼時ということもあってか、OLたちの姿で賑わっている。
メインストリートに面したカウンター席に陣取っていた奈々子は、突如ざわめき始めた周囲の空気も気に留めず、アイスコーヒーの氷をストローでかき回していた。
ざわめき、甘い嘆息、女の囁きあう声。そういったものを纏った男は、奈々子を見下ろして言う。
「うっわ、まずそー。そのアイスコーヒー。すごく薄くなってない?」
男は、端整な顔立ちの男だった。端整。そんな言葉で形容できぬほどの容貌をした男。背はすらりと高く、引き締まっている。身に着けているものも洗練されていて、どこかの雑誌のモデル、芸能人、そう表現してもおかしくはなかった。
隣に立つだけで、羨望の眼差しが痛いほどに刺さる。奈々子は頬杖をついて嘆息し、ストローを動かしたまま呻いた。
「そう思うんだったら新しいの注文してこい。お前が遅刻してくるからこうなったんだ」
「……はいはい」
承知しました、と、男は踵を返す。足音が一度遠ざかったことを確認し、奈々子は再び嘆息した。
街の往来を見つめながら、コーヒーをすする。男の指摘どおり、解けた氷のせいでかなり薄い。
しばらくすると、奈々子の要望したアイスコーヒーと、甘ったるそうなフラペチーノをトレイに乗せて、男が奈々子の了承を待たずに隣の席に腰掛けた。
お互いに、ストローを咥えて喉を潤す。窓の外をぼんやりと見つめていた。
まず最初に、沈黙を破ろうとしたのは男のほう。
「あの、さ」
しかし本題を切り出したのは、奈々子のほうだった。
「泣かすんじゃねぇよ馬鹿が」
ぐ、と男が喉に何かが詰まったように唇を引き結ぶ。
「……な、泣かすって」
奈々子は通りを往来する人々を見つめながら、言葉を続けた。
「昨日電話の向こうでさ。泣いてやんの。ったく。なぁに泣かせてやがるんだお前は! なだめるの大変だったんだぞ!」
「……あー……え?」
「わんわん泣いて、混乱して、話聞くのも一苦労だったしよー!」
「あう、ん。なんていうか、ごめん?」
「そうだ謝れ。罪悪感を覚えろ。何やってんだ嫁入り前の娘に」
「いや、ごめん」
「責任取れよ」
「そりゃ――とるよ。もちろん」
こちらと同じように、窓の外に視線を移して、彼は言う。その横顔は、拗ねているようにも思えた。
「本当かよ」
「本当だって。何で信じないの?」
「お前の日頃の行いが悪いんだろ」
「別に僕、佐々木にそんな風に当たったつもりはないんだけどなぁ」
「んで、どうやって責任とるんだよ?」
奈々子の問いに、男は無言で懐から「それ」を取り出す。
「……」
「ずっと決めてたことがあるんだ」
男は再び「それ」を仕舞いなおして、言った。
「ずっと、決めてた」
――って、ことを。
男の唇が小さく動いて、ささやかな声音で紡ぎだした「回答」に、奈々子は満足する。
少し、腹立たしかったけれども。
「今日、帰りに寄るつもりだから」
「オーガンバレ」
「うわすっげ棒読み」
「がんばってねっ」
リクエストに応じてせっかく猫を被ってみたというのに、男の浮かべる表情は心底嫌そうだった。
「語尾にハートマークつけんのもやめて気色悪いから」
「女のアタシつかまえて喜色悪いってなんだ!?」
「うん。その乱暴な口調こそ佐々木だ」
「……サイッテーだなお前」
はははと盛大に声をあげて男は笑う。
「もう一度言うぞー」
奈々子はその笑いに疲れを覚えながら、男に言った。
「絶対、泣かせんなよ」
男は誓った。
「二度と」