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フラワーシャワー


 叶を、乳飲み子のころから幼稚園のころまで育てた人の名前を、真砂さんという。一度、叶を捨てた、彼の母親代わりだったひとだ。
 その人が会社の同僚の人と結婚したのは、私たちが小学五年になった、梅雨入り前のことだった。


 その日はこれ以上ないほどに晴れていて、明日から土砂降りになると天気予報は言っていたのに、信じられないぐらいに気持ちのよい天気の日だった。ぽかぽかとした陽気を通り越して暑いぐらいだったけれど、空気はからっとしていて、心地よい涼風が吹いていた。
 新郎さん側の意向で、真砂さんの挙式は小さなゲストハウスで行われた。なぜ私まで呼ばれたのかは判らない。多分、妹尾家と付き合いが深いからだろう。
 真砂さんは、綺麗だった。真っ白なウエディングドレスと花やスパンコールを飾ったヴェール。だんなさまも優しそう。親も親戚も、一切持たない真砂さんは、ゲストハウスに付属している教会のバージンロードを叶の父親に付き添われて歩いていた。
 笑いに、人々誰もがさざめいていた。


「ちるさと。おまえ、こんなところで何やってんの?」
 外で開かれる披露宴の準備を待つ間、私は教会の裏手の木陰にいた。突如かかった声に驚きながら振り返る。逆行になって見えにくかったが、声をかけてきた影がいったい誰のものかはすぐにわかった。
「せのおくん」
 私は彼の名前を呼んだ。妹尾叶。私が一番苦手とする少年。
 今日の主役は、一時期、彼の養母だった。
 彼は少し迷ったあと、私の隣に腰をおろした。ぷらぷらと足を揺らしたあと、もう一度尋ねてくる。
「こんなところで、一人、何やってんの?」
「……あんまり、たくさんの人のところにいるの、好きじゃないから」
「ふぅん」
「せのおくんは?」
「大人ばっかで、つまんないじゃん? いい子演じるのも疲れるし」
「大変ね。やめればいいのに」
 私の皮肉に、彼は応じず、僅かに眉を歪めただけだった。
「……真砂さんの傍にはいかないの?」
「だんなさん、僕完璧知らない人だし。幸せそうだからいいよ」
 僕が行ったところで、多分彼女は気を遣うだけだろう。
 彼はそう言った。一年もまだ経っていないと思うけど、彼と真砂さんは和解した。和解したからこそ、今日の結婚式には妹尾の人たちが出席している。
 けれど、拭いきれないしこりみたいなのがあるんだろう。特に、真砂さんがいなくなって大きな傷を負った、彼には。
 私が母と和解したと仮定する。でもきっと、もう私は母のことを信頼して傍にいることはできないだろうし、純粋に母の幸せを願うことだってできないに違いない。
「でも散里さんのほうが、変わってるよね。ふつう、こういう場所って女の子、はしゃぐ場所じゃないの?」
 思いついたように尋ねてくる彼に、私は小首を傾げる。
「……結婚式って、はしゃぐ場所なの?」
「はしゃぐ場所だよ。こういうところにくると、女の子ってきゃぁきゃぁいうもんじゃないの? 花嫁きれーとかって。ユトちゃんとかも大騒ぎだしさ」
「んー。花嫁さんは、綺麗だと、思うよ」
 真砂さんは本当にきれい。きらきらして、すごく。
 ただ、眩しい。
 眩しすぎて、なんか嫌だ。
「あぁいうドレス着たいとかって騒がないんだ?」
「ウエディングドレス? ……思わないなぁ。着たい、だなんて」
 私の返答に、彼は少し驚いたようだった。
「どうして?」
「……この間、図書館で読んだの」
 さわさわと揺れる緑の植木を見つめながら、私は言った。
「結婚すると、子供生むでしょう? 親って、生んだ子供に、自分がされてきたことと同じことをするんだって。それなら、結婚したいなんて、思わないな」
 もし、子供を生んだとしたら、私も母のように、子供を捨てるんだろうか。
 そもそも、結婚などできるのか。母と同じように、何人もの男の人の間を転々とするのではないだろうか。
「……ちるさと、このめでたい日にそんなこと、考えてたの?」
 彼の呆れ声に私は面を上げて反論する。
「うっさいなぁ。私だって暗いって判ってるから、みんなから隠れて座ってたの」
 暗い表情を見せたら、絶対に妹尾のみんなが心配するに決まってる。賑やかで楽しいはずの日に、私のせいで嫌な思いさせたくない。
 だから一人でいたのに。きちんと気持ちが、おちつくまで。
 膝を抱えなおして、顔を埋める。くぐもった声で、呻いた。
「ほっておいて」


 笑い声が、遠くから聞こえる。
 気が付くと、そこから彼はいなくなっていた。
 放っておいてといったのは私自身だったけれど、急に一人取り残されて孤独感が募る。周囲を見回しても、誰もいない。
 幸せな世界から、まるで、一人、隔てられたみたいに静か。
 じわりと目元を競りあがってくる熱を堪えるために、膝に顔を再び押し当てる。
 と。
 ばささささっ!!!!!
「……っ!?」
 突如私の頭上から降り注いできた柔らかいものに驚いて、私は弾かれたように面を上げた。そこには、逆さまにした籐の籠を手にした妹尾叶が立っていた。
 彼が籠の中から私の頭上にぶちまけているのは――花だ。
 色とりどりの、いろんな種類の、大小様々な、花の花弁。
 バラやスイートピーの匂いに包まれながら、呆然と彼を見返す。彼は私の前に屈みこむと、私の膝の上を覆い尽くしている花の一つを手にとって、私の髪に挿した。
 にやりと笑って、彼は言う。
「花嫁みたいじゃん」
 こんな笑い、他の人には絶対に見せないに違いない。私は彼の意図がわからなくて、ただ首を傾げていた。
「はな、よめ?」
「花嫁って、今日一番幸せになる人だよね」
 彼は言う。
「ほら、これで、ちるさとが、今日一番幸せな人」
「……せのお」
「僕さ、親は親、子供は子供だって思ってる。集みたいに将来なるとかいうの、絶対ごめんだし」
 集というのは、彼のお父さん。けっこう変わった人で、確かにあの人みたいに彼がなるっていうのも、少し信じられないような気がする。
「将来親と同じ道歩むかどうかわかんないじゃん。それまでにまだ何年かかるんだよ。僕ら今日の出席者んなかでも、一等子供なのにさ」
「でも」
「そんな未来のこと考えるんだったら、もうちょっと幸せなこと考えときなよ。自分のときはどんな結婚式にしようかとか。旦那はどんな人がいいとかさ」
「……妹尾君って、意外に前向きなんだ?」
「こんなハレの日にまで、後ろ向きでいるのも飽きただけ。いくよ」
 彼は私の手首を掴むと、乱暴に引き上げた。こけそうになりながら彼に引っ張られるまま付いて歩く。
「ちょ、妹尾くん」
「料理そろそろ並ぶだろ。席につくよ。おなかすいてるから、嫌なことばっかり思いつくんだよ」
「おなか」
「すかない? 僕はすいた。朝早起きしてから、僕らサンドイッチかじったぐらいで、何も食べてないじゃん」
 そういわれれば、確かに。
 このゲストハウスに来るために、まだ太陽も昇らないうちに起きて、うちのパンを少しかじっただけだった。
 指摘されて、徐々にお腹がすいてくる。そうすると、美味しそうなものが並んでいるといいなとか、ケーキあるかなとか、身近なことに意識が向くようになった。
 私の手を引いて前をいく、小さな背中を見つめる。まっすぐに、ただ前を行く、私と同じ苦しみを味わった、少年。
「あ! 叶君!」
 呼び止められたらしい彼は、慌てて立ち止まった。つんのめって彼の背中にぶつかってしまう。彼の背中の後ろからこっそり前を覗き込むと、こちらに歩いてくる着飾った女の人がいた。
 私も知っている人だ。
「ねー叶君。真砂さんへのフラワーシャワー用の花籠しらない? 一つ足りないのよ」
「え? しらないよ?」
 私を背中に隠すようにして、彼はしらばっくれる。声は普通だったけれど、すごく焦っていることが気配でわかった。
 私は無言で髪に刺さったままのバラの花に触れる。
 あぁこれ、あとで真砂さんの歩く道に撒く花だったんだ。
 どうやら彼、周囲に黙ってこれを持ち出してきてしまったらしい。籠も花も、あちらに置いたままだ。
「おい。見つかったのか遊」
 男の人の声が割り込む。こちらも、私の知っている人。妹尾家の次男、つまり、妹尾叶の兄だ。
「みつかんない。うーんこまったなぁ。あの籠一つだけで結構花が足りなくなるんだよね……」
「お前、しっかり管理してないからだぞ」
「うっさいなぁ! まさかなくなるなんて思わないじゃない! ……お店の人に言ったら、追加もらえないかな」
「花は生花なんだ。ストックしているわけじゃないだろう」
「うー、わ、私のミスだよね。か、買わなきゃかな!」
「安心しろ。お前のすっからかんなポケットマネーなんぞ、誰もあてにしていない」
「あのねぇ……!!」
 言い合いをしながらその場から離れる二人を見送った私たちは、安堵の吐息を付きながら顔を見合わせた。よかった。ばれなかった。あの籠は後で取りに行って、花を撒く前にこっそり返しておこう。
 少しばかりの罪悪感に胸が痛みながらも、なんだかあの人たちの様子がおかしくて、私たちは笑ってしまった。
「ほら、いこう。なんかいい匂いがする」
 晴天の空の下に並べられた、白いクロスのかかったテーブル。その上には、すでに料理が鎮座している。大勢の人々がシャンパングラスを手に談笑していた。
「ほんとだー。ケーキとかあるかな」
「あるんじゃないかな。っていうかさー。ちるさと、もう少し食べて太りなって。胸おっきくなんないよ」
 思わず、手を振り払って私は叫んだ。
「……あんた! それセクハラ!」
 手を振り払われたにも関わらず、彼は楽しそうに笑って、オープンテラスに向かって駆け出す。
 私も拳を振り上げて、彼の後を追ってかけだした。


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