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ぼくだけが知っていたはずの


 文化祭運営は二年生まで。
 県下でも有数の進学校でもあるこの高校では、生徒の大半が大学に進む。そのため、大学受験や模試を控えた最高学年は、秋口初めに行われる文化祭の運営には携わらないことになっている。


「つうわけで、クラスの出し物を決める!」
 だん、と教卓に拳を叩きつけて宣言したのは委員長。男の、学級委員だ。が、彼が委員長といわれることは少ない。
「ちゃっちゃとアイディアを出せ。柔らかい頭を搾って出せ。いいか、運営は実行委員のやつらだが、クラスの出し物は俺たちで全てやるんだ。どのクラスよりも熱く、三年の先輩たちが、忘れられないと感動の涙を流すような、そんなすばらしいアイディアを……!」
 ラグビー部に所属する男の委員長、芝崎は、その気性からもっぱら「熱血」と呼ばれている。
「さぁ、伝説を! うちたてよう! 俺たちで! 思い出をつくろう!」
「えーまぁどんな些細なことでもいいので、思いついたら挙手して発言してください」
 黒板の前で一人熱さに悶えている役職仲間を放置して、女の委員長――クラスメイトが、委員長と呼べばそれはほぼ確実に自分をさす――であるみちるは、淡々と述べた。
「このホームルーム中に決めなきゃいけないので、思いついたことは遠慮なくお願いします。放課後の委員会で、そのアイディアが実行可能か先生たちに審査してもらった後に、準備に入ります。予算もそのときに通達しますが」
「大丈夫だ! 派手にいけ! 予算は俺たちがもぎ取ってきてや……」
「芝崎君は黙ってください」
 委員長の顔を、問答無用、書類で押さえつけたみちるは、こほんと咳払いを一つ。
「えー、まぁとにかく、アイディアを、お願いいたします」


「委員長ってさぁ、面白いよな」
「……は?」
 文化祭の準備は委員会で了承を得てからだが、白熱した話し合いに皆気分が高揚しているのか、放課後になっても帰ろうとせずに残っている。
 部活へ行くために荷物をまとめていた叶は、友人の漏らした言葉に面を上げた。
「……どうしたの? 突然」
「いやぁ、委員長って、単に真面目で根暗なだけなのかと思ってたんだけどさ」
 人付き合いが苦手なみちるには、友人が極端に少ない。がり勉で真面目で根暗。表情をめったに動かさない、少女らしさのない少女。それが周囲の評価だ。
 その評価を覆して、みちるを面白いと言った友人を、叶は驚きの目で見つめた。
「一体なんでそう思ったの?」
「いや、去年も俺ら、同じクラスだったけどさ、あの熱血を二年間抑えて、淡々と事を進めてくっていうのはすごいよなぁとかって、今日思った」
「ふぅん」
 教科書を学生鞄に放り込み、スポーツバッグのベルトを肩にかけて生返事をする。
「そうかもね」
 彼女はもっとすごいと思うけど。
 だって自分と、こんなに長い間付き合ってこれるのだ。
 しかし彼女が何かしらすごいのだと、他人に知られたことは、叶に言いようのない不快感をもたらした。
「妹尾? どうしたんだ? 眉間に皺よせて」
「なにもー」
 ない、と言い切って、叶は立ち上がる。
 そしてそのまま友人にひらりと手を振って、教室を後にした。


「あ、買出しにみちると佐々木も行くの?」
「うん」
「あぁ」
 文化祭の出し物は無事に決定し、熱血芝崎が宣言通り、予定よりも大幅な予算をもぎ取った。文化祭の準備に入るために、買出しの第一弾が今週の日曜日にある。
 委員長ということで、みちるも無理やり引きずり出されることとなった。どうやら皆、熱血芝崎が買い物に暴走することをみちるに防いでほしいようだ。面白がった奈々子もそれについてくる。
「叶は?」
「うん。僕もなんか誘いがきた。男手が必要なんだって」
「あぁ、荷物もちね」
「すっごくストレートに誘われた理由を言ってくれてアリガトウ」
「つうことは、この三人で珍しく買い物にいくわけだなぁ」
 零度の笑顔でみちるに応じていた叶の近くから、彼の好物である物を次々に口に運びながら、奈々子が言う。
「というか」
「初めてよね?」
 うん、と叶と顔を見合わせ、みちるは確認した。自分たちは、普段、行動を共にすることが少ない。たとえ行動を共にしたとしても、人間関係が限られているときだけだ。
 自分たちのことをまったく知らない誰かを間に挟んで共にどこかへ出かけるなど、初めてだった。
「気をつけろよ」
 奈々子が茶をすすりながら言う。
「特に妹尾」
「……何に気をつけろって?」
「んー。さて」
 奈々子がなんだろうね、と肩をすくめる。怪訝さに首を傾げたみちるは、叶の叫びを聞いた。
「あ! 生姜焼きがない!」


 日曜日、八月も終わった秋口。夕刻は徐々に涼しくなるとはいっても、日中は真夏の暑さそのままを残している。否、今日は朝から真夏以上蒸し暑さだった。
 初めはTシャツで行こうかとも思ったが、それでも蒸し暑い。嘆息して、箪笥の中からあまり着ることのないワンピースを取り出す。綺麗なシャーベットオレンジとピンクがグラデーションになっていて、レースで花を編んだものがサテン生地と二重になっているものだ。これなら涼しそうだと満足げに微笑し、みちるは箪笥の引き出しを閉めた。


「あっついなぁ」
「暑いね」
「芝崎はもっと熱いな」
「うん。暑いっていうか、熱いね」
 気休め程度に手でぱたぱたと自分を仰ぎながら、友人の河野の言葉に叶は同意する。集合場所の駅にはすでにほとんどの人員が集まっていて、その片隅では芝崎が拳を振り上げ買い物に意気込みをあらわにしている。
「あ、委員長と佐々木さんだ」
 傍にいたクラスメイトの女子の一人が、駅の向こうから現れた二人組みの少女を指差した。
 一人は佐々木奈々子。ベリーショートの黒髪が太陽の光を受けて輝いている。ヒョウタンツギが描かれた蛍光緑のTシャツに濃紺のジーンズ、そしてビーチサンダルといういでたちだ。いろんな意味でお洒落である。それが似合っているのだから始末に終えない。
 それと対照的だったのはみちるだった。肩の出たワンピースに、青いビーズをつないだサンダルという涼しげな様相で、髪は少しだけゆるく巻いてアップにしてある。日差しをよけるために、つばの広い麦藁帽子をかぶっていた。
 普段隠れている、肌の白さが引き立つ。暗い印象のせいで、肌の色まで浅黒いと勘違いされる彼女だが、実際はひどく、肌の色が白い。栄養失調で痩せて、骨と皮ばかりだった子供のころと異なり、すらりと伸びた手足や胸元を、適度に柔らかい肉が包んでいる。彼女の身に着けている淡いオレンジのワンピースはその彼女の柔らかさを引き立たせている上、扇情的とすら言える華奢な鎖骨から肩の線にかけてをそのまま白日の下に晒していた。
 喧嘩をした。
 繰り返し。
 けれど最近、つかみ合いをすることは少なくなった。
 体型の差。筋力の差。
 なにより、硝子細工のように繊細なものになってしまったみちるを手にかけると、強い衝撃に襲われるからだ。

 いつの間に、この幼馴染は、こんな風に、女のひとになってしまったのだろう。

「ごめん。遅れたね」
「いいよー。まだ来てない子いるし」
 みちるの声が控えめに、続いてクラスメイトの少女の明るい声が響く。我に返った叶は、周囲を見回した。自分と同じように、クラスメイトの男たちが呆然とした様相でみちるを眺めている。
 何かに誘われるように、ふらりと伸ばされた河野の手から、反射的に叶はみちるを引き剥がした。
「う、わっ!」
 彼女が慌てながら、それでも叶の腕の中に倒れこむ。周囲がさらに驚愕らしきものに瞠目した。
 みちるが腕の中で叶を見上げ、無言で尋ねてくる。
 どうしたのか、と。
 自分自身に問いたい。一体何をしでかしたのか、自分自身でもよくわからない。
 凍りつく周囲と自分の狭間、最初に動いたのは、佐々木奈々子だった。
「みちる、あんた間抜けだね。今バランス崩しただろ。妹尾にお礼いっときなよ」
「え? あ、うん」
 叶の腕の中から離れたみちるは、佐々木の言葉の裏を悟ったのだろう。
 にこりと微笑む。
「ごめん。ありがとう」
 その刹那、反射的に笑顔が浮かぶ。
「いーえ。どういたしまして」
 何も考えず、ただ笑みが出てくる自分を、そして佐々木のアドリブに合わせるみちるを、役者だと叶は思った。
「ごめーん。遅れたー!」
 最後のクラスメイトが慌てた様相で走りこんでくる。皆の空気がいつものものに戻り、いこうか、と皆でぞろぞろ歩き出す。
「だから気をつけろって言ったろ」
 クラスメイトの少女と珍しく談笑しているみちるを、集団の後方から見つめながら歩いていた叶は、知れず横に並んだ少女から揶揄の言葉を聞いた。
「……どういう意味だよ?」
「私、思うんだよね。あんたが傍にいるからあんまぱっとしないのかもしれないけど、みちる、美人じゃん。あんたのねーさんたちがあれこれいじりまわるもんだから、仕事以外のときはすっげーセンスいいし、お洒落だし、スタイルいいしさ」
「……だから、何?」
「すぐ気づくよ。みんな。みちるがちょっとひねてるけど、愛情深くて、魅力的な女だって。あんたが作った鳥かごから、みちるはいずれ出て行くだろう」
「佐々木」
 暗い叶の制止を、彼女は聞かない。愉悦に歪んだ悪戯げな微笑を浮かべて、彼女は肩をすくめる。
「この間、私がとっちゃったあんたの分の豚の生姜焼き、さっきのでチャラな?」
「……あの、なぁ……」
「男なら」
 叶の胸元を掴み、眼前に顔を寄せて佐々木は囁く。
「腹くくって、いい加減自分に嘘つくのも、ごまかすのも、わからないふりをすんのもやめておけよ」
 彼女は一度言葉を切ると、目元を細めて冷ややかに笑い、声をさらに潜めて言った。
「でないと、あんただけのものだったはずの、あんただけが、知っていたはずの小鳥は、どっかの誰かに掻っ攫われるか、あんたの元からいつだって飛び立っちまうんだよ」
 それだけ言うと、佐々木は叶の胸元から手を離し、何事もなかったかのようにみちるの元へ戻っていった。
 前を行く、白い肩の線を眺める。あの細い線を知っている。繰り返し、掴みあって喧嘩したから。
 あの細い線を、知っていた。

 僕だけが。

 今日までは。


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