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虚栄に埋もれる


 その日、唐突に部活がなくなった。
 なんだかグラウンドの日にちが今日にずれ込んだとかで、練習する場所を奪われてしまったのだ。ここのところ毎日部活だったから、身体を休める意味でいっそ休みにしてしまおうと顧問が言ったからだった。
 僕はあってもなくてもどちらでもよかったけど、その提案に他の誰もが色めきたった。思い返せば、本当に久しく部活の休みがなかったから。土日すら、部活があるぐらいだったし。明日は土曜日。土日はもともと部活が休みの日だったから、余計に皆大騒ぎだ。
 部活がないというそれだけで、なんだか一気に気が抜けた。今日は珍しくクラブの仕事もない。帰ろうかなぁと荷物をまとめかけた僕の背を、勢いよく叩くやつがいた。
「かーなーえ! 今から合コンすんだけど、お前も来いよ!」
 突然背中を叩かれて、一瞬呼吸に詰まる。振り返った先には得意げに腕を組んだクラスメイトでもある友人。
「合コン? もう予定立てたの?」
「おう。無理やりねじ込んだ」
「何で僕?」
「んなもん、お前がいなきゃ向こうの女の子揃わないからにきまってっだろ。めっずらしいこと訊くなぁ。嫌なのか?」
「んーそういうわけじゃない」
 僕は立ち上がり、スポーツバッグと学生鞄を取り上げた。身体は気だるい。本当ならば今すぐ家に帰って眠りたい。せっかく、手に入れた休みなのに。
 けれど僕の身体は僕の意思に反して、人のよい、他者に言わせれば人懐っこい笑みを浮かべて言う。
「もちろん、いかないわけないじゃん」


 カラオケボックスの一室。合コンの席には、急遽用意されたはずの席だというのに、うちの学校と他校の男女がかなりの人数入り乱れて座っていた。こういう場所に借り出されるのはもちろん初めてじゃない。僕は、女の子を釣るための餌のようなものだ。
 いろんな女の子たちの視線が僕の身体をちくちくと刺す。女の子の何人かはもううちの学校の男と一緒に選曲に入って、談笑している。彼氏を作りにきたっていう意気込みあふれる女の子や彼女をゲットするってやる気満々の男どもは放置して、人数合わせに連れて来られたようなガチガチに固まってる女の子の隣に、無造作に座る。
「初めまして。妹尾です」
「は、初めまして……」
 かちかちとなんだか歯がかみ合ってない女の子は、地毛か染めているのか判らないけれど、茶に近い明るい黒で、ストレートパーマを当てたっぽい髪をおかっぱにしていた。周りの子と違ってきっちりめに身に着けたブレザーとリボンタイ。膝丈にそろえたプリーツスカートから覗く膝小僧がかちかち震えている。
「そんな緊張しなくて大丈夫だよ。カラオケあんま来ないの?」
「よ、よく来る!」
 顔を上げて元気よく、でもやっぱりどこか裏返った声で応じる女の子に、僕は微笑む。
「そうなんだ? じゃぁなんでそんなに緊張してるの? あ、もしかして大人数苦手とか?」
 思い浮かんだのはみちるの顔だった。人馴れしてない彼女は、あまり大人数のところに放り込まれると所在なげに不安そうな表情を浮かべる。その顔が結構僕の嗜虐心をそそるものだから、僕はその顔見たさに、彼女を時折強引に人の輪に引きずり込むんだけど。
「いっぱい人がいるのは、その、平気なんだけど、お、男の子とこんな近くで、話すこと、なくて……」
 そうだろうね。いかにも男の子慣れしてなさそうな感じだ。
 そんな僕の胸中を裏切って、口は滑らかに明るい口調で言葉を吐き出す。
「そうなんだ? 彼氏とかはいなかったの?」
「いないよ! で、できないよそんな私なんか!」
 手を振って全力で否定する彼女に、僕は小首を傾げる。
「そうかなぁ。僕だったらほっとかないけどなぁ。こんなにかわいいのに」
 あーあ、真っ赤になっちゃった。
 餌を求める金魚みたいに、ぱくぱくと口を動かす女の子に微笑み、僕は立ち上がった。
「河野! 曲入れるからリモコンちょうだい!」
 テーブルを挟んだ向こう側で盛り上がる友人に、リモコンを要求する。マイクから手を離さず、リモコンを僕に手渡してきた彼に苦笑しつつ、受け取ったリモコンはそのまま女の子に手渡した。
「ほら、なんか曲入れようよ。あっちに負けないように、盛り上がらないとね」


 カラオケは六時で解散したけど、そのうち何人かはファミレスに集まって大騒ぎしながら夕食をとった。
 僕もその輪の中に入っている。解散したときにまっすぐ帰るつもりだったのに、なぜか身体は皆につきあっている。
「妹尾君って結構好き嫌いないほう?」
 綺麗に空になった僕の皿を眺めて、女の子の一人が尋ねてくる。アイスクリームをスプーンで突っついていた僕は面を上げ、笑顔で首を横に振った。
「ううん。多いほうだよ?」
「本当にぃ〜?」
「妹尾って好き嫌い多いって口ではいうんだけどさー。でもぜんっぜん嘘だぜ」
 僕を指差して口を挟むのは友人、河野。
「だっていっつもどんなもん出されてもきっれーに食べるもんな。しかも大食らい」
『えーうっそぉー!』
「デタラメだよ。信じちゃだめだって」
 出されたものを綺麗に食べるのは本当だ。父親の躾のせいだろう。けれど本当は兄弟の中で一番好き嫌いが多いし、食べ物は美味しいもののほうが当然いいに決まっている。
 甲高い声で騒ぎながら笑う彼女らに付き合って、僕も一緒になって笑い出す。一体何がおかしいのかわからないのに。


 夜半、重たい身体を引きずって帰った。昔は僕を含めて最大七人の人間が暮らしていた一軒屋。今は僕一人が暮らしているも同然だった。兄弟達はみんな家を出たし、父親は仕事でほとんど帰らない。
 明かりをつける。静まり返った部屋に、冷蔵庫のモーター音が大きく響いていた。ずるずるずるずるという効果音が聞こえそうなほどに緩慢な足取りで自分の部屋に帰る。ここはいっそう静かだった。
 布団に倒れこむ。冷えたシーツの感触を確かめて、僕は目を閉じた。


 今日も疲れた。いつもと同じ、虚栄に埋もれた一日が、終わろうとしている。
 むしろ、永遠に終わったらいいのに。
 こんな、茶番の毎日など。
 終わらせたい。
 終わらせる。
 今度こそ。
 暗闇の中で、そう思う。


 そのまま疲れから、うとうと眠りに入りかけていた僕は、階下で玄関の戸の開く音に飛び起きた。うちの家の引き戸はうるさくて、どれだけ静かに開閉してもかなりの音がする。
 一瞬、父親が帰ってきたのかとも思ったけれど、それにしては様子が奇妙だ。部屋を出て確認したけれど、玄関の明かりは暗いままだし、車の排気音も聞いた覚えがない。後者は、なにせ僕が寝ていたものだからあまり自信がないんだけど。
 気だるい身体を引きずり、警戒しながら階下に下りる。明かりもついていない廊下で、影が一つ動いている。僕よりも大分小柄な影だ。
 安堵に嘆息すると、僕はその影の肩を乱暴に引っつかんだ。
「……っ!!!!」
 かしゃんっ……
 何か硬質のものの落下音が小さく響く。影が振り向きざま、驚きにだろう息を詰めた。
「何やってんだよ?」
 影は荒い呼吸を繰り返しながら、僕の姿を大きく開いた瞳に映し出す。いつもはレンズの向こうに隠れてしまっている大きな目だ。
「な、お、驚かさないでよ……っ」
「それはこっちの台詞だろー。泥棒かと思ったよ不法侵入者」
「何よ。それだったらちゃんと鍵閉めておきなさいよ。泥棒でも入ってるのかと思って心配したのに」
「つか、泥棒が入ってるかもって思うんだったら放っておいて逃げなよ。本当に泥棒が入ってたらどうすんだよ。被害にあうの、そっちじゃん」
 僕の指摘に初めて思い当たったとでも言いたげに、彼女はぱちくりと目を瞬かせる。
 僕は嘆息して、影の名前を呼んだ。
「みちる」
 彼女は肩をすくめて口先を尖らせる。
「叶、あんたも悪いのよ。ちゃんと鍵くらいかけておいてよ無用心よ。電気消して、お風呂も入らず寝てたんでしょ」
「……なんでわかんの?」
「顔に枕の跡ついてるわよ。男前が台無し」
「うわ」
 慌てて顔をこすった僕を、みちるが可笑しそうに声を立てて笑う。まぁ、顔をこすったところで顔のどっかに刻まれてるんだろう枕の跡とやらは消えるはずがないけど。
「……そういえば、何の用だったの?」
 みちるは理由がなければ僕の家になんかやってこない。彼女が理由もなくこの家に来るときは、僕の姉か義姉か姉同然のひとか――彼女と友人関係を結んでいる誰かがいるときに限られている。
 みちるは抱えていた紙袋に視線を落とした。
「今日お客さん来る予定だったんだけど、その人来なかったから晩御飯がすごく余って。そしたら店長が叶に持っていったらっていうから」
「それ、ご飯?」
「うん」
 みちるは紙袋を抱えなおして大きく頷いた。音や袋のふくらみ具合からして、たぶん料理を詰めたタッパーが入ってるんだろう。
「今日はきちんと食べたの?」
「食べたよ。今日は河野たちとカラオケだったから外で食べた」
「あれ? 部活は?」
「今日は無し」
「ふぅ〜ん」
 そうか、と拗ねたように彼女は呟く。拗ねてなどいないんだろうけど、拗ねたような響きがする。僕が大勢の人間と遊び歩いたりすると、彼女は時折こんな声をだす。人付き合いが非常に苦手な彼女だから、もしかすると羨ましいのかもしれない。
 僕は容易に彼女をあの中に引きずり込むことはできる。
 それでも、虚構だらけの茶番に彼女を付き合わせる気は毛頭なかったけれど。
「今日、眼鏡してないね」
 眼鏡がないと、瞬くたびに影を濃くする彼女の長い睫がよく見える。誰も気づいていないだろう彼女の目の大きさだとか、煙るような長くすっと伸びた睫とかがはっきりと姿を現している。
 何気ない僕の指摘に、彼女は不機嫌そうに眉根を寄せてみせた。
「何いってんの。あんたが私を驚かすから、落ちたの」
 彼女の言葉を聞いて、僕はあぁ、と手を打った。
「あ、さっきの音、もしかして眼鏡落ちる音?」
 かしゃん、という硬質の音。
「もしかしなくてもそう。踏まないでよ。探すんだから」
 そういってその場に屈む彼女に付き合って、僕も腰を落とした。床をぺたぺたと触りながら、眼鏡を探す。大分暗闇に目が慣れたけど、黒縁眼鏡の輪郭をはっきり認識できるほど夜目が利くわけじゃない。電気をつけたほうが早そうだったけど、スイッチまで歩く間になんだか床に落ちている眼鏡を踏んでしまいそうな気がして、そのまま眼鏡を探すほうを選んだ。
 床を手探りで順繰りに触れていく。廊下の端に来たところで、ようやっと指先がそれらしきものに触れた。
「みちる、あったよ眼鏡」
「ホント?」
 眼鏡を確認して、僕は立ち上がると明かりをつけた。その場で動かず待っているみちるの元に歩いていく。眼鏡をかけてやろうと思って近づいた僕の顔をじっと眺めたみちるは、可笑しそうに再び笑って僕の頬を引っ張った。
「いっ」
「ほんとにくっきり付いてる。どんな寝方してたの? 大間抜け」
「……うっさい」
 僕は彼女の手を払いのけながら低く呻く。
「ご飯置いてさっさと帰れよ」
「ひどい言い草。せっかく叶が嫌いなもの抜いてきたのに」
「んなことするのは当然だろー」
「あ、そう? じゃぁ当然じゃないようにするわ。月曜の弁当に、叶の嫌いなもの詰めにつめる」
「……やめて。食べれなくて腹へるじゃん」
 くすくすと笑った彼女に、強引に眼鏡をかける。僕は嘆息して、台所へ続く戸に手をかけた。
「明日食べるから、冷蔵庫に詰めておいてよ。その間に茶でも出すし」
「うん。あ、今日昌穂さんのところでケーキ作って。その余りも持ってきたんだけど」
「それは今食べる」
「お腹いっぱいじゃないの?」
「甘いものは別腹っていうじゃん」
「主に女の子に向けてね」
「まぁ、ね。何ケーキ?」
「あんたの好きなブランデー入りオレンジケーキ」
「いいね」
 彼女の作る菓子類は絶品で。どんな洋菓子店のものよりも僕の口に合う。お世辞ではなく、売り物のように繊細だ。日頃の料理もそうだけどさ。
「甘いものに合う茶、だすから、待ってて」
 彼女は大きく頷いた。それを確認して、台所に入る。
 とりあえずお湯を作るために必要なやかんのある戸棚まで歩き始めた僕の背後で、みちるの低い呻きが聞こえた。
「うわぁ」
 振り返ると、彼女が台所の入り口で絶句している。
「ユトさん泣くよコレ」
 ユトさん、とは僕の姉同然の人。この家でしばらく家事全般を担っていて、この台所は彼女の城だった。
「泣かれてる」
 帰省するたびに、かつての城が僕に無残にあらされているのを見て、彼女は滂沱するのだ。
 みちるは台所にずかずかと入り、ごたごたと物が置かれているダイニングテーブルを指差して叫んだ。
「ってか何よこれ! あんた片付けぐらいしなさいよ! これで平気ってどういう神経してんの!?」
「だってめんどー。気になるならみちる片付けてよ」
「このぐーたらで甘えたで面倒臭がりの王様め。あんたのどこがいいのか、女の子たちの気がしれないわ」
「顔じゃない?」
「単に派手な顔してるだけじゃない。ねぇ?」
 散らかったダイニングテーブルの上を疲れた面持ちで片付けながら、同意を求めてくるみちるに、僕は苦笑せざるを得なかった。
「あぁでもそうすると」
 テーブルを手早く片付け、その上に紙袋の中身を順番に並べながら、彼女が呟いた。
「あんたのこの馬鹿なとこ、私しか知らないんだね」
「馬鹿は余計。……それがどうかしたの?」
「んー」
 タッパーを並べる手を止めて、みちるはしばらく思案する。そうしてこちらを向いた彼女の顔は、魅力的な微笑に彩られていた。
「なんかちょっと、楽しい。二人だけで、悪戯しかけてるみたいで」
「……はぁ? 悪戯?」
「誰があんたの正体に気づくでしょうって、悪戯してるみたいじゃない?」
「……タチ悪い発想」
 僕は正直に言った。みちるは時々、本当にひねくれてタチの悪い発想をする。僕の発言を耳にした彼女は、先ほどの微笑を引っ込めて、心底不機嫌そうな顔をした。
「何よ、あんたが一番タチ悪いんじゃない」
「ま、否定はしないけど」
 僕は戸棚からやかんを引っ張り出して、みちるの言葉を肯定した。そう、僕自身が一番タチが悪いに違いない。みんなの好意に表面だけ取り繕いながら、胸中で皆を嘲笑う、僕自身が。
 いつもいつも、やめたいと思っている。もう終わりにしたいと思っている。人付き合いも、面倒だと。
 今日もそう思いながら帰ってきた。
 なのに僕は、この見栄を終わらせない理由を、今、見つけてしまった。
「そうだね。悪戯みたいだ」
 僕の同意に、みちるは笑う。彼女に多分他意はない。何気ない思いつきを口にしただけ。
 僕は彼女の言葉という大義名分を得て、この馬鹿げた茶番を続行するんだろう。そうしていつか茶番が終わり、皆が僕に失望して離れていったとき、僕自身の弱さを、彼女の責任として転嫁するために、僕は彼女を罵るに違いない。
 この、虚栄に埋もれるその行為を。
 お前のこの、小さな一言のせいで、終われなくなったのだと。


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