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91 簒奪者

 闇を切り裂く光線に、老いた背中を丸めた男は、のっそりと面を上げた。
「父上」
 ラルトの呼びかけに、男は縦皺の入った喉を鳴らす。孫ほども年の離れた子に、彼は自嘲めいた笑みを向けるのみだった。
「お前が次の皇になるのか、ラルト」
 現皇帝は目尻に入った烏の足跡をさらに深めて脂黄ばんだ歯を見せた。長年の玉座はとにかく彼の精神をむしばみ、若き頃は精悍ともてはやされたであろう端整な顔は、余分な肉と皺と染みの巣窟であった。
「なぁラルト、私にはわかっていた。お前が次代の皇となることはな。呪われし仔よ。闇色の髪と血の色の瞳を持つ男よ。いかに遠ざけようとも、殺めんとしてもいつも切り抜け、いつか玉座を手に入れる。私にはわかっておった」
 かかか、と嗤いに唾を飛ばし、皇帝は目を閉じた。
 ひたり、と血の靴跡を付けながら、ラルトは彼に歩み寄る。
「……私を殺すか、ラルト」
 ラルトは静かに老いた男を見下ろした。誰もが簡素な古着をかきあわせて寒さをしのいでいると言うのに、老人の双肩に着せ掛けられているものは、雅な絹綾ものだった。青紫の打掛に艶やかな山吹の帯び。そのどちらにもびっしりと繊細な刺繍が施されている。その豪奢さが逆に皇帝の身体を小さく、実にみすぼらしく見せていた。
 哀れな男。
「……いいえ」
 ラルトの返答に皇帝は嗤った。
「愚かな。私を残せば、後々の禍根になるぞ」
「父上」
「殺さぬのか。奪わぬのか」
「わたしが奪うのはあなたの温めてきた座で充分です」
 皇帝は濁った眼でラルトを見た。いつも汚らわしいものを視界に入れまいとするように眼を反らし続けてきた彼がラルトをその双眸に入れたのは記憶する限り初めてのことだった。
 皇帝がラルトの肩を掴む。骨ばった手で。青い血管の浮いた病んだ手で。
 そのへこみ筋の入った爪ばかりが並ぶ指先を、皇帝は覗き込んだラルトの頬に滑らせた。かさかさと、乾いた音がした。
「愚かなる、簒奪者たる、わが息子よ」
 裏切りの呪い在れ、古き魔女の祝福在れ。
 皇帝はそう囁いて、滂沱の涙を流し、その場に伏した。
 父が、ラルトを息子と呼んだのは、それが最初で最後だった。
 そうして、ラルトは、玉座に就いた。