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85 将軍と私

 男が現れる間隔は決まっていない。短い時は日を置かず。下手をすれば数年間。
 母や祖母の時代には、十年単位でしか現れない期間もあったようだ。最長でも三年ごとには顔をあわせていることを思えば、自分を慰めるべきなのかもしれない。
 実際、男はよく会いにくる。
 ヤヨイに、仕事を持って。

「頼みがあるんだけど」
 と久方ぶりに姿を見せるなり、将軍は話を切り出した。会って早々それですか、という言葉をヤヨイはぐっと飲み込む。将軍が呼んでいると聞いて、速攻仕事を片づけ、小奇麗にして駆けつけた、乙女心というものをこの男はとんとわかっていない。
「頼み、ですか?」
 鸚鵡返しに問うヤヨイに、将軍は能天気な顔で首肯した。
「西大陸に行ってほしい」
「西で何かあるのですか?」
「ちょっとごたごたしててさ。そんで西にいる傍観者が、俺に手を貸してくれっていうんだよ。そんなこと初めてだしさ。貸したいのはやまやまなんだけど、さすがに傍観者二人が首つっこむと色々となぁ。東でもシオンにじっとしててくれって頼んだぐらいだし」
 傍観者は単体で、その大陸の魔を掻き乱す。
 それぞれのねぐらから長期間出る際には魔封じの術を施し、自らに制約を課すことが原則だ。術を身に刻んでいてさえ、複数体で集まるときには注意が必要だった。
「それで、将軍の代わりに向かえばよいのですね?」
「そう。まずは二、三日だな。途中、彼女から魔力を預かってする作業があるかもしれない」
「東でしたときのようにですか?」
「あぁ。俺の魔を貸しても上手に使ってくれたしな。彼女の魔力も大丈夫だろう」
「そうですか」
 わかりました、と頷いたヤヨイに、将軍は眉をひそめる。
「……疲れてるのか? ヤヨイ」
「私ですか? いいえ?」
 質問の唐突さに驚いて瞠目するヤヨイの顔をしげしげ眺め、男はうーんと唸った。
「体調悪い、とか?」
「いいえ。全くの健康体ですよ、将軍。何をおっしゃっているんですか」
 もう、と口先を尖らせる。男はふむ、と一度は納得しかけ、首を静かに横に振った。
「いや、やっぱ、機嫌悪いだろ。ヤヨイ」
 ヤヨイは唖然とした。
(ほんとうに、このひとはいったいなにをいいだすの)
「わるくありません」
「いや、絶対悪い。唇とがってるしな」
 ヤヨイは慌てて口元を横に引き結んだ。
「言ってみろよ。何が不満なんだ?」
「なんでもありません」
「ヤヨイ」
 男はヤヨイの顔を、その手のひらで包んで固定する。
 腰を僅かばかり屈めてヤヨイを覗き込む男の顔は真剣で――しかし、色艶めいたことは一切なかった。
 絶望したくなる。
(あぁ、このひとのなかでわたしは)
 あきれるぐらいに、こどもなのだわ。
 外見の差は縮まり、いつかヤヨイは男の年を追い越していくのだろう。
 けれどきっと男の目に映るヤヨイはいつまでも、初めて会った時の童女のままなのだ。
 どんな些細なことでも、男の手伝いができるだけで幸福だった、都合のよい里の子供。
 ヤヨイは泣きたくなりながら呻いた。
「将軍にとって、わたしってほんとうに便利屋さんみたいですよね……」
 ヤヨイは自他共に認める稀代の解呪師であり、魔術師だ。が、傍観者ではない。あくまで人の域にとどまっている。
 皮肉なことに、その使いやすさゆえに、将軍はヤヨイに目を掛けていた。高頻度で会いにきてくれる。
 そして会うときはいつも仕事がらみだ。
 余韻を残す、拗ねた響き。
 ヤヨイは我に返った。
(何言ってるの、わたし!)
 里は、将軍と姫、以下、呪われし帝国のためにある。
 里に属するヤヨイは、便利に扱われて当然の立場だ。むしろ、扱われることに名誉を覚えるべきである。
 どう自分の発言を撤廃すべきか。
 蒼白になりながら混乱するヤヨイの頬から、将軍の手が離れる。
「しょうぐん……!」
 謝罪の意を込めて、ヤヨイは叫んだ。
 失言だった。いくら強要されたからといって、口にすべきではなかった。
「しょうぐん……」
 ゆるしてください、と訴える。
 将軍は顎をしゃくりながら、冷静な目でヤヨイを見下ろしていた。
 ややおいて男の温度のない手が、ぽん、と頭に載せられる。
「悪い。そういうつもりじゃなかったんだけど」
「……しょうぐ」
「よく考えれば魔力を注がれるって身体に結構負担かかるしなぁ。突然ほいほい依頼を持ってこられてもこまるよな。悪い」
「ちがう」
 そうではない。
 そうではなくて。
 では、なんなのだろう。
 役に立てることは嬉しい。男に頼られることは嬉しい。
 それ以上を望んだこの身が、ただ、あさましいだけなのだ。
 立ち尽くすヤヨイに、将軍は微笑んだ。
「でも引き受けてくれるならうれしい。俺は城に帰ってるから、明日の宵口までに返事をくれないか? 駄目なら俺が自分でどうにかするさ」
 悪いなぁ、と男は困ったように笑った。
「ヤヨイは腕もいいし、個人としてもつい甘えたくなるんだよな。言われてみれば何でもかんでも頼ってばっかだよなぁ。ごめんな」
 よしよし、と男はヤヨイの頭を撫でて、離れようとした。
「将軍! 待ってください!」
 転移しようとする男の腕を、ひし、と掴む。
「引き受けます! 引き受けますから! 将軍はただ、命令してくださればいいんです!」
 震える声で、ヤヨイは呻いた。
「……私たちは貴方様のためにあるのです。馬鹿なことを言ったことを、お叱りになっていいんです」
「……嫌な仕事なら本当に引き受けなくていい。身体に魔を注がれるときの嫌な感触は俺も知っている」
「引き受けさせてください。わたくしたちは、将軍のお役に立てることが喜びであるのです」
 わたしからそのよろこびを、うばわないで。
 仕事から遠ざけられたとしても、これでは自業自得だろうが。
 将軍は屈んでヤヨイと視線を合わせた。
「引き受けてくれて嬉しいよ。……荷物を纏めておいてくれ。その間に俺は長老たちと話をして、転移門を開いてもらえるように頼んでくる。支度が整い次第、西へ飛ぶ」
「かしこまりました」
 時間がかなり差し迫っているようだ。それでも男は明日まで猶予を与えようとしてくれていた。
 失言を吐いたことを、ヤヨイは改めて猛省する。
 準備のために分かれる間際、そうだ、と将軍が手を打った。
「……どうなされたんですかしょうぐ、きゃっ!」
 将軍はヤヨイの頭を鷲塚み、そのまま胸元へ引き寄せた。男の胸板が眼前にあり、混乱と緊張で顔が火を噴く。
「しょしょしょしょ、しょうぐん!?」
 裏返った声を上げたヤヨイは、頭に――正確には、団子の形に結わえていた髪の根本に、ぶすりと何かが刺さる感触を覚えた。
 ヤヨイの頭を解放した将軍は、悪戯好きの子供のように破顔する。
「前報酬」
 そして角を釣り上げた唇に、立てた人差し指を、しぃ、とあてた。
「みんなには、内緒な?」
 じゃな、と男はそのまま転移する。宣言の通り、長老の元へ向かったのだろう。
 ヤヨイはちりちりとなる不思議な音に眉をひそめながら歩き、手水場の鏡に映る、自分の姿に息を呑んだ。
 黒髪に、簪が刺さっている。
 赤瑪瑙と琥珀、水晶の小さな珠。そして華の透かし彫の成された白銀の鈴が連なる、繊細な造作の簪だった。
 将軍が、里のものたちに物を買い与えたりしないことは知っている。
 彼は里のものたちに平等だ。
 ヤヨイを除いて。
 ヤヨイは鏡に映る簪に指を滑らせ、泣き笑いに顔を歪めた。
「ひどいひとですね」
 誰ともなく呟いて、表情を引き締める。
 そして踵を返し、走り出した。
 男の期待に、報いるために。