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81 調査報告

「ダダン、お前に本部から召喚状が来てる」
「は?」
 〈協会〉の斡旋所の受付に座る男がダダンに封蝋された封書を差し出す。なんだこれは、とダダンは目を剥いた。
 ダダンは星の数ほどもいる商工協会の仕事屋のひとりだ。専門は調査。田舎の人口から悪徳役人の身辺まで、分野は幅広い。必要とあれば潜入や現地工作なども行う。この道には長くいるが、〈協会〉本部の印章――ぶなに似た葉の集合によって形づくられた隻翼と、ひと振りの剣――の捺印された封書を受け取るのは初めてである。
(つか、本部って本当にあるんだな)
 腐るほどの部門と支部が世界中に散らばっている〈協会〉だが、本部がどこにあるのか知る者はいない。興味本位で調べようとして生きている者はいないとか。眉唾ものの噂ばかりが流布する、幽霊の如き存在が協会本部だ。
 ただそれが存在する確かな証拠として、印章はある。
 本部が認定したものにだけ、穿たれるしるし。ダダンのような平の仕事屋が刻印書類を目にすることはまずない、といっていいはずだった。
「何やらかしたんだお前」
「知るかよ」
 受領書に署名しながらダダンは呻いた。
 宿に戻り、恐る恐る、封を切る。
 上質の紙には青い墨でたった一文、アーヴソーウィルへ戻ること、と書かれていた。


 北大陸極北東には、仕事で二度訪れた。一度はもう何年も前になる。かの国の首都で行方不明者が頻出し、その原因の究明にあたっていた。二度目はつい先月。一度目の仕事に関連するということで依頼が斡旋所経由で回ってきた。古い遺跡を発掘するというその仕事を終え、南に下ったところで、また呼び出されたわけである。
「あら、ダダン。やだぁ、もう私が恋しくなったの?」
「そうだな、っていいたいところなんだけどなぁ。イザベラ、これの意味がわかるか?」
 発掘調査中に親しくなった協会支部の受付に本部からの封書をかざす。彼女は首をかしげて、奥から上役を呼んだ。以前の仕事では一度も顔を合わせなかった男だった。
「お待ちしておりました。こちらです」
 やせぎすの男に案内された部屋は、驚くほどに上等の部屋だった。うつくしいつづれ織りがくまなく張られた壁。なめらかな光沢を持つ毛皮で覆われた長椅子が二脚。それらに挟まれた楕円の円卓は艶のある樫だ。よく知る会議室や来客室とは一線を画す調度ばかりが並んでいた。
「ごめん。待たせた」
 軽く扉を叩いて入ってきた男は、ダダンよりわずかに年下の――いや、年上、なのだろうか。一見、二十代後半に見える美丈夫だった。
 黒曜石色の髪に、珍しくも夜に焚かれる炎のような深い赤の目をしている。大柄ではないが、鍛え抜かれた四肢をしていて、足音がしなかった。ダダンは反射的に緊張した。
「初めまして。ラヴィだ。ありがとう来てくれて」
 そう言って男が差し出した手を、ダダンは握り返した。
「ダダンだ。……あんたは――あなたは、本部の方か?」
「そう。いいよ、堅苦しくしなくて。やりにくいだろ? 俺も気を遣わない人間だしさ」
 ラヴィは両手をひらひらと振った。人好きのする笑みが浮かんでいた。
「さっそくだが……話?」
「そう。先月の仕事。あの遺跡の発掘を指揮したのはダダンなんだろ? その時どういう方法を採ったのか話を聞きたい」
 ダダンは、ため息を吐いた。
 先月の仕事は、いわばその前に引き受けていた、王都で相次ぐ失踪事件の調査という仕事の続きだった。当時ダダンは、おびただしい数の人々が行方不明になった理由も、彼等の末路も、突きとめることができなかった。すべてが明らかになったのは半年ほど前――氷河を渡った先にある無人島の洞近くで、子どもがひとり、親の前で畸形化したのだ。
 畸形は、魔力の低い者が高密度の魔に触れたときに起きる奇病だ。化け物じみた姿となって理性を失う。
 わかるものから見れば事件の真相はあきらかだった。その洞を中心とした一角の魔力が異様に高く、足を踏み入れた者たちは魔の侵蝕を受けて、人ならざる者と化していた。それがまた人を襲って喰らっていた。すべてはそういうことだった。
 ダダンはたまたま近くに寄っていたこと、行方不明者の調査に関わっていたこと、また、魔術の知識をそれなりに有していたことの三点を見込まれ、三か月間、改めてこの一件の調査に携わり、その過程で古い遺跡を発掘したのだ。
「報告書は書いたぞ」
「読んだよ。調査員を募る要請書も、現地調査の進捗書も、事後処理の提案書も」
 ラヴィの手にはダダンが書いたものと思しき書類の束が握られていた。ダダンは訝りに首をひねった。ラヴィは手ぶらで来たように見えたのだが、気のせいだったのだろうか。
「調査員に魔術師を。いなければ、目の色が珍しい人間。もしくは、見目のきれいな。面白い要請だよな」
「魔力の高いやつが必要になると思ったけど、この近辺にゃあまりいないからな。ラセアナあたりならいるだろうが、遠い」
 大陸西部の都市ラセアナには魔術師の留学生が多くいた。だがアーヴソーウィルまで呼びつけるには距離がありすぎる。
「その条件で探せば、魔力の高いやつにかなり当たる」
「うん。そうだろうなって思ったけど……わからないのは、最終的な人選をどう行ったか、なんだ。それに実際の調査。三交代の五人組制を採ってるのに、ひとりひとり現地に入る時間に差があるだろ。これはどういう意図で?」
「人選、な」
 ダダンは長椅子の背に重心を預けて天井を仰いだ。ほんの数か月前のことを回想する。
「髪と肌を染めさせた」
「……は?」
 きょとんと瞬くラヴィに、ダダンは解説をした。
「魔力の高いやつは髪や肌が長く染まらんだろ。だから同じ色粉を使って染めさせた。珍しい目の色つったって、単にこの近辺では見ないだけで、そいつの出身地じゃ親族にうじゃうじゃあったりするからな。染めて、それで、半日以内に色の戻ったやつだけを採った。戻りの時間も厳密に計っておいて、その長さで現地に入る時間の長さを決めた」
「なるほど。染めるのか。面白い方法だな」
 ラヴィは感嘆の声を上げて手を叩いた。子どものような反応をする男だ。
「五人いれば具合の悪くなったやつを急いで引きずって戻って来られる。……調査員は女が多くなっちまったからな。苦肉の措置だ」
 ラヴィは納得に深く頷き、ほかにもいくつかのことを確認した。畸形に変わる兆候の見分け方や、ダダンの知識の出所や、この発掘調査の件以外にも――これまで経験した仕事内容や、協会の現状への感想なども。
「……あの遺跡、どういうものなんだ?」
「さぁ」
 ダダンの問いにラヴィが肩をすくめる。
「俺も見てみたけどまだわからないんだよな。人手を連れてこなきゃ調べられそうもないし。ただもう事件にはならないようにするからさ。そこは安心していい」
「そうか」
 ラヴィ曰く、遺跡はしばらく〈協会〉が預かり、周囲を封鎖していくという。
「面白かったよ。ありがとう」
 ラヴィは書類を手に立ち上がった。
「ここまでの旅費と臨時の報酬があるから、下の受付で受け取ってくれ。あと、今日から登録票に文字と番号が増えるけど、気にしないでほしい」
「……いや、気にするだろ」
「俺と面会済みの人間に付くんだ。色々と優遇を受けられる。どんな優遇かは……まぁ、お楽しみってところか」
 ダダンはラヴィを食い入るように見つめた。
「……本当に本部の人間なんだな」
「そう。俺が本部なんだ」
 ラヴィは笑った。
「また何か仕事を頼むかもしれないな。そのときは、よろしく」
 踵を返した男はひらりと手を振りながら廊下へ出た。
 しかしその姿は扉が閉まりきる前に、虚空に融け入るように掻き消えたのだった。


「報酬って……おいおい」
 受付で受け取った報酬の書面には、信じられない額の数字が書かれていた。正直、逆に恐ろしい。
「ねぇ、どうしたの? 大丈夫?」
 凍り付いていたダダンの顔を、イザベラが受け付け越しに覗き込む。いや、と首を振ってダダンは書面を折りたたんだ。明細はあとで燃やさねばなるまい。
「平気だ」
「そう? ねぇ、お仕事終わったんでしょ? 夜に飲みに行こうよ」
 ふところ、あったかいんでしょー、と女は笑い、やれやれ、とダダンは笑った。
「いいけど、酒場の前にちょっと付き合えよ」
「ん? 何に?」
「花を買いに」
 そうして遺跡を原因とした死者たちの墓標に、あふれるほど供えてやるのだ。