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56 砂の帝国

「ったく……金持ちのオヒメサマは本当に暢気だなぁ」
「まったくだ! こんなガキの坊主ひとりをお供に付けただけで、お散歩たぁな!」
 銅鑼声の爆笑が野営地に響く。その笑いに誘われたように、泉のほとりで焚かれた火が燃え上がり、満天の星空に火の手を伸ばす。
 わたくしは橙に染められる男たちの横顔を見つめながら、両手を唇に押し当てて震えていました。両手首にはしっかりとした縄。わたくしにはなすすべがありません。
 隣ではファティが胡坐をかいて黙りこくっています。ファティの両手はわたくしと異なり背に回した上で結ばれています。ファティの両の目には焚き火の光が映り込み、ゆらゆら燃えているようでありました。またそれが睨み据えているように見えたのでしょう。男のひとりが見咎めて、砂をゆっくり踏みしめてわたくしたちのもとへ。男の影が砂に埋もれた廃墟の壁に巨人のように伸びました。
「なんだ? その目は」
「……別に?」
 ファティが小首をかしげます。その声音はとても落ち着いていました。それがまた男の癇に障ったのでしょう。
「てめぇ、どんな状況なのかわかってんのか? アァ!?」
 男がファティの襟首を掴み上げます。小柄なファティが宙吊りに。わたくしは主神に祈りました。
 あぁ、主よ――……。
 ファティが笑って、答えました。
「わかってるよ」
(この罪深き者たちに、ご慈悲を)
 男の指と、手の甲と、腕の皮が、きれいに剥がれました。
「あ?」
 ファティが握る小剣によって。
 血に濡れた鋼が、てらりと焚き火を照り返します。男が数歩よろめいて後退して、ファティが立ち上がりました。
 そしてわたくしの手首を縛る縄だけを綺麗に一閃。
「レイハーネ。何をしてる。手伝え」
 そっけなく言い放ったときにはすでにファティは小剣の先端を男の首に刺しています。
 わたくしはため息を吐きながら腰を上げました。
「わたくし、血に濡れるのは好きではありませんの」
「なら何故付いてきた?」
「あなたがやりすぎるのを防ぐためですわ」
「なら半分請け持て。わたしが、こいつら全員を殺さないうちに」
 男が悲鳴を上げて絶命します。ファティが倒れる彼の腰から剣を引き抜いてわたしに投げ渡します。反りかえった先端がふたつにわかれた正義の剣(ズルフィカール)。悪党が正義だなんて、おこがましいこと。
 わたくしは剣を握りしめる手首を返して、衣装の裾を裁きました。
 男たちは既に怒号と悲鳴の渦のなかにあって、ファティがたったひとり愉悦に笑いながら、剣を揮っていました。




「わたくしの陛下(イ・スルターナ)」
 昼間からあぐらをかいて酒をかっくらうファティにわたくしは苦言を申し上げました。
「情報を探るだけと仰いましたのに。結局、皆殺してしまって」
「殺した方がよかったのさ。もう泳がせる必要もなかった」
「ファティ」
「レイハーネ。ひとの性別を間違えるような奴に、正確な情報なんぞ求められんさ。そうだろ?」
 わたくしは眉間に指を押し当ててうな垂れました。あぁ、根にもたれていたのですね……坊主って、言われたこと。
 短く短くざんばらに切って逆立てた金の髪。顔立ちは端整ですが凛々しくいらっしゃる。鮮やかな萌ゆる緑の瞳の眼光は鋭く。華奢な体躯はしなやかではありますが、丸みに欠けます。剣の稽古ばかりしているからですわ。まったく。
 ファティ・カウィ・アハカーフ。南大陸で最も古く、最も偉大なる砂の帝国の王女。
 王位の第一継承者ではありますが、他ならぬ皇帝に厭われる身のせいで、城で最も小さな離宮を与えられ、軟禁される悲劇の王女、と、世間様ではいわれておりますけれども。
 ご覧の通り、王から距離を置かれている点をよいことに好き勝手。無能を付けられて遠征を命ぜられるも繰り返し戻って、いまや無能集団は爪を隠す鷹。小離宮はこの方の王宮となり、軟禁は名ばかり。逆らう者は幼少のみぎりよりお世話係を務めるわたくしのみ。
 くつくつと笑ったファティはおもむろに傍らに置かれていた剣を取り上げました。
「見ろ、レイハーネ」
「……先日、あのならずものたちから剥いできた剣ですわね」
「そう。ここに印がある。本宮からの横流し品だ」
 ファティは剣を投げ捨てると、背後の背もたれにばふ、ともたれ掛かりました。
「王の近衛の風紀もよくぞここまで腐敗したものだよ」
 ファティがわたくしを供ひとりを連れただけののんきな姫君に仕立て上げ、自分はその従者に扮して方々に足を延ばしているのも、王の評判を聞き、王に叛意を持つ集団や、逆に皇帝の手助けをするべく潜伏している者たちを探り出すためだったのです。
 わたくしの意見といたしましては、爪隠す無能たちにぜひとも活躍していただきたいところ。けれどわたくしの主ときたら本当にご自分で動いて血を浴びなければ気が済まないのですから困ったものです。
 閑話休題。わたくしたちは王と繋がりを持つ相手、つまり王の脱出の手引きをしかねない相手を探しておりました。その目安が王の近衛たちへの支給品です。たとえば煙草。たとえば紅茶。嗜好品は証拠隠滅もたやすいこともあって、王の近衛が繋がりある者たちに褒賞として下すことが多かった。ところがここ最近ときたらあろうことか予備の剣帯、剣といったものが闇市に流れているのですからもう。
「横流しせねばならんほど生活に困っていると言うのかね、やつらは」
 嘲笑してファティが目を伏せます。わたくしたちの生活は皇帝の目の下、贅を凝らしはしませんが、よい生活をさせていただいております。それもファティと――無能たち、の、才覚や人脈あってのことです。
「……そろそろ、皇帝の首を刎ねてもだれも文句はいうまいね。どう思う?」
「あなたに簒奪者の銘を持たれる覚悟がおありなら」
「もちろん」
 ファティが玻璃の杯を蹴散らして立ち上がられました。その手には剣が握られております。近衛から外に流されて、城に戻った正義の鋼が。
「この国は熟れて崩れた果実。地に墜ちて、腐れるを待つばかり」
 砂の帝国アハカーフ。南大陸南部の広大な砂漠のすべてを手中に収め続けてきたわたくしたちの国はいま斜陽の時に在る。
 ファティが剣の刃を目の前に翳して微笑みました。
「腐れた実を苗床に芽吹くものもあろうさ。血と怨嗟の中で産声を上げた私のようにな。……狼煙を上げるぞ」
 父を弑するための戦の狼煙を。
 わたくしはただ頭を垂れて、承服します。
「ヤー、イ・スルターナ」


 アハカーフ。
 この国もまた生か死か、神の秤にかけられる。
 その行く末を知るはただ楽園におわす神のみ。