Simple Site

52 同室

 学院に入学してはどうかと勧めたのは、わたしを保護した年老いた夫婦だった。

 再会を待ち望んでいた孫息子が帰らぬ人となった因たるわたしに、彼らは残酷なほどに優しかった。
 頼れるものなどなく、ただ謝罪の為だけに転がり込んだ娘を、誰もが疎ましげに見た。しかしこの老いた夫婦だけは違った。贖罪として雑役婦の役を買って出たわたしを、彼らはただの身寄りのない娘として手厚く庇護した。

 雑務を終えると、わたしは古い書斎の床板の上に身を横たえる。その遺体とも間違(まご)う様相の娘に、どうにかして生きる気力を持たせようと、彼らは必死になった。とつとつと孫息子の思い出を語り、彼が幼い頃に書いた走り書きを示し、彼が送ってきた手紙をこっそり寄越した。
 そうして彼らの中にある優しい思い出が降り積もるたびに、犯した罪と失ったものの大きさと、まだ息づいている狂おしいほどの愛しさにさいなまれ、わたしは無為に夜を数えていくしかなかった。

 そんなわたしに、老夫婦は勧めた。学院に、入学してはどうか――……。

 この国最高峰とも医学の学び家に、包帯を巻くことすら碌々出来ぬ小娘が入学できるものなのかと首を傾げたが、老夫婦が持ち込む医学書を読めば、実践はともかく大概のことは理解できた。生家の教育の賜物だろう。勉学は苦ではなかった。実技は付け焼刃だったが、学科においてわたしは群を抜いていたらしい。その点が考慮され、補欠という注釈がついていたが合格を果たし、学院に無事、入学を果たした。

 亡き愛しいひとの弟を付き添いに、初めて足を踏み入れた学院は広大だった。異国情緒溢れる堅牢な建物の一角が、私の新しい住まいだという。ふたりひとへやとなります。案内人たる先達は言った。本当はなるべく人と関わりたくなかったが、わたしには決して贅沢もわがままも許されない。

 もう、あなたの相方は、部屋に入っているはずです。

 告知されていた通り、同室の友となる女は既に部屋に着いていた。食卓の置かれた一室に、荷が置かれている。行李と小さな鞄がひとつずつという荷の量に、わたしは相方はもう寝室への運び入れを初めてしまったのだろうかと首を捻った。原則として荷は当日、自ら運び込むこととなっている。今日入学を果たした者たちは皆、いくつも行李や木箱、鞄を台車に積み上げて廊下を歩いていたというのに。

 とはいえど――わたしは自分の荷物を見下ろした――古びた鞄と行李ひとつが、わたしの荷物のすべてだったけれど。

 わたしは二つある寝室のうち、人の気配あるほうを覗き見た。

 開け放たれた窓辺に女が立っている。風にそよぐ髪色とうなじから判別できる肌のそれに、わたしは目を瞠った。銀色の髪と小麦色の肌は、あきらかに東大陸の民のものではない。ここ、東大陸は安定を見せているため、近年、他大陸から民の流入が増えているらしいが、この学院の設立にかかわった三国の国民であることが条件とされる生徒として、他民族をみることは珍しかった。

 つまり、珍しい者同士を同室にしたということなのだろう。

 わたしに気付いた女が振り返った。わたしはぎくりとした。わたしをまっすぐ射る目は、あまりにも澄んで、みたことのない深い深い緑の色をしていた。陽に透ける、故郷の薔薇の葉を思わせる、まるで作りもののように美しすぎる目だった。
 女はわたしを見て目元を和らげ、これから住まいを同じくするものであるかどうかをわたしに確認した。わたしは頷いた。おんなはわたしの姿を観察し、年を尋ねてくる――どうやら、同年らしい。
 だがわたしと異なり、袍を着崩れなくきっちり着こなす様は、妙に堂に入っている。彼女がこの国に根差して久しいことは明白だった。その一方で、女の瞳は寄る辺を失ったもの特有の、ある種の諦観を宿している。女の浮かべる曖昧な微笑が、心細さを気丈に覆い隠そうとするもののように見え、わたしはひどく、身勝手な共感を覚えた。
 だが、わたしはそれを打ち消した。握手をかわしたときの女の手は、小さく、力強かった。孤独に流されそうなわたしを支えるほどに。

 別の獣の下で生まれながら、神殺しの土地の男を愛し、すべてをなげうってここにいるわたしたち。
 やがて互いの救いの手となったわたしたちは、生涯、無二の親友としてあり続けることになる。