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47 クラッシュ 前編

  人生とは――衝突の連続だ。
「里帆はさ、かわいげがないんだよ。勉強ばかりで」
「仕事が忙しいって、いつも連絡返さないよね」
「営業は男の領域だ。仕事を勝手にとるんじゃない」
 うるさーーーーーーい!!! 女々しいことばっかり言うな!! 
 この時代、振り落とされないためにためスキルアップしようとしてるだけってかあんたも勉強しろ! あんたのぐちばかりのLIMEにどう返信すればいいのよ! 営業 成績とられた!? 取られる前にお前がクロージングすればいい!!
 という言葉を飲み込みながら、「次から気をつけます」と、どうにか笑顔を取り繕ったものの、ぽそりと呟かれた、これだから女は、の一言にキレ、上司と一線交えたのはわたしだ。
 それからというもの、わたし、天宮里帆は、社内で衝突の絶えない日々を過ごしている。
 まず、知財法務部への配置換え。法律をきちんと遵守してほしい知財法務部と、いいこちゃんにしていたら商品なんてちっとも売れない。どうにかグレーな部分をくぐり抜けてでも、インパクトのある強い言葉で顧客に訴えたい営業部は何かと衝突しがちである。
 営業の相手は営業に任せてしまえ。わたしは知財法務部の社内の窓口に据えられた。営業の相手は営業に任せてしまえ、ということである。大学で法学部を出ていればまだしも、そっちの方面は全くの未経験。古巣からは裏切り者よばわり。法務の人たちからは体のいい盾扱いに、わたしはぼろ雑巾になった。
 そしてその結果が――交通事故である。


 警察車両のテールランプが照らす歩道の真ん中で、わたしは半泣きになりながら頭を下げた。
「誠に、申し訳ございませんでした……!」
「いいえ、こちらも悪かったので……」
 交差点の車通しの追突事故だった。
 相手が発進するタイミングを見誤って、後続だったわたしが前の車に追突してしまったのだ。お互いに怪我がないことを確認し、ただいま警官さんによる事故検証の真っ最中。死にたい気分で謝罪を繰り返し、膝を折ったところで、相手が慌ててわたしの腕をとった。
「だ、大丈夫ですか? ご気分が?」
「いえ、土下座しようかと思いまして」
「どげっ……いえ、していただかなくて結構です。立ってください。いや、違うな。あなたは座った方がいいです。顔が真っ青だ」
 存外にやさしいテノールに、わたしは青色吐息で面を上げた。
(社長さん……?)
 というのが、衝突相手をひとめ見て抱いた率直な感想だった。
 三十路前後の男のひとだ。ううん、もう少し若いかもしれない。でも同年代の動機と比べて落ち着きのある、ちょっとした風格のある人だった。
 木綿のダークカラーのTシャツにブランドものらしきジャケット。普通のお勤めの人としてはラフな格好だけど、いいものを着ているから。美形じゃないけど、凡庸じゃなくて、なんだろう、記憶に残りやすいとでもいうのかな。印象に残りやすい感じの雰囲気を纏っていた。
 その彼は、おまわりさんに許可を取り、わたしの車の助手席に、わたしを座らせてくれる。わたしははっとなって、大丈夫です、と主張した。
「わたしは、大丈夫です! えっと、病院……病院いってくださいね。怪我とか後で出るっていいますから!」
 ぱっと見、彼の自己主張の通り、怪我はなさそう。
 でも追突事故直後は痛みを感じず気づかないなんて場合もある。
「ごめんなさい」
 追突されたのにわたしを気遣ってくれる彼にわたしは再び謝った。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
 毎日、疲れていた。だからこそ車の運転にはもっと慎重にならなきゃいけなかったのに。
ぼろぼろと零れ始める涙を手の甲で拭い、わたしは助手席に置いていた鞄を漁った。
「連絡先……連絡先を、教えますね。治療費、払いますから」
 個人携帯と会社の名刺、どちらがいいんだろう。どちらか見つかってくれればいいのに、革のトートバッグから携帯も名刺入れも見つかってくれない。
 ファスナーを開けるわたしの震える手を、相手の大きな手が差し止める。わたしはびっくりして顔を上げた。
 相手も弾かれたようにわたしから手を離す。
「触ってしまって……連絡先、まだ大丈夫です。病院も、何なら一緒にいきましょう」
「ミムラさん――ミムラ、トウマさん」
 おまわりさんに呼ばれて、彼――ミムラさん、が、立ち上がる。ミムラさんはおまわりさんと言葉を交わしたあと、最寄りの自販機に小走りに行って戻ってきた。
 水のペットボトルが、わたしに差し出される。
「大丈夫」
 と、彼は言い置いて、またおまわりさんのところに戻った。
 横から現れた婦警さんが屈んでわたしと目を合わせ、やさしく微笑む。
「現場検証したら、今日は終わりですからね。大きな怪我もなさそうですから、大丈夫ですよ」
 大丈夫――大丈夫ですよ。ミムラさんたちに掛けられた労わりの声がリフレインする。
 わたしは情けなくも、また、泣き出してしまった。