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45 日々平穏


 ティアレがふと目を覚ますと、夫のラルトは寝台の傍に設えられた籐の椅子に座って、茶を淹れているところだった。
「……おはようございます」
「あぁ、起きたのか? おはよう」
 しゅんしゅん、と、鉄瓶から湯気が吹いている。ゆらゆら揺らし、少し水温を落としてから、茶碗と急須に注ぎ入れる。夫はあまり、というかかなり、調理の類が苦手なのだが、緑茶は味が落ちないのだ。そのせいか、わりと気軽に茶を淹れてくれる。急須の中の茶葉が静まるまで、二脚の瀟洒な陶器が温めたあと、洗指鉢の中に湯を捨てて、茶碗の中に均等に茶を注いでくれる。
 ティアレは上着に袖を通して寝台を降りた。綿を入れた布の履物は床板の冷たさを遮ってくれる。円卓を挟んでラルトと同じように籐の椅子に座ると、彼がさりげなく淹れたばかりの茶をティアレへと滑らせてくれた。
「ありがとうございます。早起きですね、ラルト」
「身体を動かしてこようかと思ってな。起こして悪かった」
「いいえ。お茶、ありがとうございます」
 茶を吹き冷ます。白い湯気がふっと虚空に溶ける。震えるほど、ではないが、冷えている、と思った。その瞬間、ラルトが立ち上がって、暖炉の火を熾してくれる。積まれていた木炭に赤い亀裂が走り、ぼうと室温が上がり始めた。
「どうする? まだ寝るなら、招力石(いし)も灯すが」
「いいえ。大丈夫です。訓練に出るのなら、見学しても?」
「特に何もないぞ」
「かまいません。眺めていたいだけなのです」
 今日は夫婦そろっての休日で、朝餉の後は姫を連れて庭の散策に出る予定である。その準備のために女官が集まるまでまだ時間がある。山の端から橙色と白の入り混じった淡い光が夜を薄めるあさぼらけ。ラルトは時々、時間に余裕があると剣を振る。剣技の型を確かめるための動きは舞いのように優美で、それを眺めることが昨今のティアレの密かな楽しみだった。そういうことができるようになった。それがうれしいし、人を殺すためではなく、型を確かめるために剣を黙々と揮うラルトはどこか楽しそうだからだ。
 政務は慌ただしく問題はいっかな尽きない。しかしこうやって目覚めるに任せて起き出して、おいしい茶を楽しめる程度には、日々は穏やかでやさしい。
 とさ、と、雪の崩れる音がして、ふたりで外を見ると、窓の外に広がる枝にふっくらした梅のつぼみが。
「まぁ、今年は早いですね」
「そうだな。庭に出たとき、他にも探してみようか」
「えぇ」
 ラルトが急須を掲げる。
「もう少し飲む?」
 くすくすと笑ってティアレは答えた。
「はい、いただきますね」