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23 マリッジ

 「わー! この間取りいいなぁ!」
 わたしが住宅展示場からかき集めてきたパンフレットのうち一冊を掲げて、ユトちゃんが声を弾ませる。
 人数分の麦茶を居間に運んできた音羽くんが、呆れた目でユトちゃんを見下ろした。
「お前の新居の間取りじゃないぞ」
「わかってるよ!」
「大丈夫だよ、音羽くん。皆の意見が聞きたくて持ってきたんだから」
 ふたりの口論の走りを遮ってわたしが告げると、音羽くんは「朔(さく)さんがそういうなら」と肩をすくめ、麦茶を布団の取り払われたこたつの天板に置いて、台所へと引き下がった。
 妹尾家の長男、わたしの婚約者たる隻さんは、事業が拡大傾向にある宝石店に勤めている。転勤も視野にいれ、新居は賃貸を選ぼうと話しているが、この辺りは築年数を気にしなければ、戸建てもかなりの数が選択肢に入るので悩ましい。そこでひとりでも多くから話を聞くべく、パンフレットを持参して妹尾家にお邪魔しているのだった。
 諸事情あって妹尾家で暮らし、隻さんの妹分でもあるユトちゃん――遊(ゆとり)ちゃんも、妹尾家の次男である音羽くんも、もう家を出てひとり住まいをしている。大学の長期休暇で彼らが帰省している家は、いつもお邪魔する妹尾家よりほんの少し賑やかだ。
「で、ユトちゃんはどれが気に入ったの?」
「この2DKです。廊下がちゃんとあって洗面スペースが区切られているし、水回りから寝室が離れているの、いいですよね。音が響かなくて」
「なるほど」
「でもネックはコンビニまで徒歩十分なんですよ……。駅は近いけど、コンビニがそこにないんです」
「会社の最寄りにコンビニがあればいいんじゃないかしら」
「ちっちっち。あまいですよ、朔さん。電車に乗る前に慌ててお金を引き出したいとき、コンビニのATMがあれば助かるじゃないですか」
「それはお前の個人的失敗談だろ」
 居室に戻ってきた音羽くんがすかさずユトちゃんに突っ込んだ。ばらさなくてもいいじゃない! とユトちゃんが抗議の声を上げ、一方の音羽くんは彼女の斜向かいに腰を下ろして悠々と麦茶に口を付け始めた。
 ユトちゃんがぶつぶつ言って、音羽くんが鋭いひと言で度々まぜっ返す。その騒がしくもどこか微笑ましい遣り取りを聞きつけたのか、二階から降りてきた隻さんが顔を出した。
「どう? ユトちゃんたちからいい意見は聞けた?」
 わたしはあぁでもないこうでもないと言い合うユトちゃんたちを横目に、隻さんへ先の2DKのパンフレットをすっと差し出した。
「こんな風に、廊下がちゃんとあって、水回りが寝室から遠いのがいいんじゃないかって、ユトちゃんが」
「あーそうだねぇ。部屋数は3LDKがいいかも。俺、書斎がほしいから」
「そういえば言ってたね」
 隻さんの仕事が忙しくなって、宝石関係の資料を家でよく目に通すらしい。いまは客室になっている和室に仮置きしているらしいけれど、棗先輩から積まれた本やらサンプルやらを、早くどうにかしろとせっつかれていて、新居には倉庫というか書斎というか、仕事用のスペースを隻さんはご要望なのだ。
 隣に胡坐をかく隻さんに、その動きを目で追いつつ、わたしは尋ねる。
「戸建てにする?」
「立地がよければそれでもいいなって思ってる。ひとり暮らし組はなんて言ってた?」
「最寄り駅にはコンビニがあった方がいいって」
「家のすぐ近くにコンビニあると便利だよねぇ。マンションの一階がコンビニになっているとこあるじゃん。あぁいうのいいなぁって思う」
「あと、セキュリティがしっかりしているところ選んだ方がいいぞ」
 なぜかユトちゃんの頭を押さえつけている音羽くんがわたしたちの会話に口を挟む。
「遊のアパートみたいな部外者が玄関まで来られる設計、気を揉む」
「あぁ、確かに」
 弟に同意して、隻さんはパンフレットをいくつか選り分けた。
「はいはい! そこそこ大きなスーパーが近くにあると便利です!」
 音羽くんの腕をぐぐっと押しやり、元気よく挙手してユトちゃんが主張する。
「鍋とか電池とか電球とかトイレットペーパーとか急にお亡くなりになるから」
「ううーん。そういうときはコンビニがあれば事足りるかな……」
「コンビニ、高くありませんか、にーさん」
「社会人の経済力でそこはなんとか」
「う、うらやま……」
「あとは病院だな」
 音羽くんが再び口を挟む。
 いわく、体調を崩したときに病院が遠いと、難儀するらしい。車があってもふたりでダウンしていれば、近場であることに越したことはないという。
「あぁ、確かに。それは大事だなぁ」
 隻さんが新居の近場の地図を引き寄せる。あれはだめ、これはよし、と、分別する隻さんに、わたしはふと疑問に思って尋ねた。
「隻さん、これ、総合病院近いのに駄目なの?」
「んー、だってそこ、産婦人科入ってないでしょ」
「さんっ……」
 わたしは思わずどもってしまった。
 顔を紅くするわたしとは対照的に隻さんはひどくまじめな顔で淡々とひとりごちる。
「そう考えると、保育園とか幼稚園だとかが近い方がいいのかな。いや、その頃になったら引っ越せばいいだけの話だけど……」
「ちょっとちょっと隻さんっ」
 わたしは隻さんの口を慌てて塞いだ。声量を落として彼を叱責する。
「若い子たちの前で何を言いだすんですか!」
「え。考えてない?」
「いや考えますけどっ」
 将来設計はもちろん考えていますが、それとこれとは話が別である。
 ふっと隻さんは笑った。
「大丈夫だよ、朔。もう音羽たち、ここにいないし」
「えっ!?」
 隻さんに指摘されて振り返ると、つい先ほどまでふたりがいた場所には誰もいない。木目のきれいなテーブルの上に、麦茶の結露の名残があるだけ。
 いつのまに――……。


 二階に続く階段を軽快に登りながら遊は呟く。
「いつまでもでばがめしているわけにはいかないしねー」
 遊の後ろに続く音羽も言った。
「用事があればまた呼ぶだろうしな」
 自分たちもそれなりに忙しい。
 アルバイトのないいまのうちに、大学のレポートを終わらせなければならないのだ。


 隻さんが美しい顔にきれいなぴかぴかの笑顔を浮かべて言う。
「最近、休みもなかなか合わないし、いまのうちにしっかり話し合おうか」
 これからの未来、ふたりの生活の在り方を。
 結婚はただの、始まりにすぎないのだから。