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運命を信じますか


「ゆとりー」
 ざわざわと人の気配絶えない大学の食堂で、必死にレポートを片づけていた遊は、隣で雑誌を読む友人からぽんぽんと肩を叩かれた。
「なにー? 彩恵ちゃん」
「ゆとりって血液型何?」
「血液? O型だけど」
「Oね。……えーっと誕生日は……だから」
 ぶつぶつと呟きながら乱数表を目線で追う彩恵の手元を覗き込む。よく購入しているファッション雑誌が開かれていた。デコレートされたピンクの文字で「特集! 血液型×星座占い 〜運命の恋を手にするには〜」と大きく書かれている。
「彩恵ちゃん好きだねー占い」
 遊もよく遊びに行く彩恵の下宿先には、血液型、星座、動物、誕生日別、といったスタンダードな本はもちろん、数秘術、占星術、四柱推命といったかなりマニアックな占い本が並んでいる。あくまで趣味らしい。
「あんたはあんまり占い見ないよね、ゆとり」
「朝のテレビの占いはチェックしていくよ。彩恵ちゃん雑誌の占いは外道じゃなかったの?」
「この特集の先生、私が好きな人なの! かなりあたるんだから」
 レポートを再開しながら、遊は相槌を打った。とにかくやばい。遊は今超絶的にピンチなのだ。
「でも珍しいね、遊」
 彩恵の対面に腰掛ける歩美が、頬杖を突いたまま指摘する。
「いっつもきちんとレポート終わらせてるのに」
「すっかり忘れてたの! ほらこの間のごたごたで……」
「あぁ、なるほど。でもあんた本当にトラブルによく巻き込まれるよね」
「私は平穏を切に願っているのにー!」
「諦めなって」
「ひどい」
「あ、ゆとり、占いにいいこと書いてあるよ!」
 ほらほら、と彩恵が雑誌を遊に押しつけた。該当欄を指差して、彼女はそれを読み上げる。
「総合運、仕事が高評価。ただし急いだ後もきちんと見直しを」
「うわあぁああレポート頑張る!」
「仕事を通じて愛が深まります。金運も吉。相手の申し出に素直に従い甘えてみれば、思わぬプレゼントが。今月は想いを通じ合わせる月となるでしょう。恋人を持つ人も片恋する人も、自分のことをきちんとこなせば相手はちゃんと見てくれています。……いい感じじゃなぁい?」
 にやにやと笑みを浮かべる彩恵に、遊は生温い目を返した。
「あてにならないって。占いは」
「ゆとり、占いを信じなければ乙女じゃないわ」
「そこまでいうか!?」
 彩恵が占いの記事と何を結びつけたがっているかわかっている。遊の片恋の相手についてだ。
 それは大学の同窓生で――ごく普通の、青年だった。人と馴染むことが少しだけ苦手なものの、生真面目で、世話好きで、優しい。
 彩恵を含む友人たちはそのことを知っている。というか、白状させられた。以来、友人たちは――特に彩恵は、遊の恋を応援するのに必死だ。むしろ遊があまりにもがつがつしていないので、焦っている節がある。
 遊としてはむしろ、手を繋ぎたいとか、一緒にいたいとか、こういう片恋のときめきをもう少し味わいたい感じなのだが。
「ねぇ、あいつも同じレポートしてるんでしょ。話してきたら?」
「彩恵、占いを遊に押し付けるのはやめなよ。それにその占いを信じるなら、自分のことは自分できちんとこなす、じゃないの?」
「もー、歩美は固いよ。彩夏がいれば私に賛成してくれるのに!」
 じたばたと暴れる彩恵から雑誌を引き取り、歩美が記事の続きを読み上げる。
「恋すら始まっていない貴女には――……この記事を目にした日、手を握った相手が、運命の人でしょう」
 ふぅん、と彼女は呟いた。
「てか、恋人でもなけりゃ、手を握るなんてないでしょう」
「フツ―に握手じゃない?」
「あぁ、なるほど」
 友人二人が会話を続ける間、遊は集中力を振り絞り、レポートに最後の攻勢をかけていた。


 手洗いを借りて戻ると、友人は現実逃避に励んでいた。
「おお、勉学真面目に取り組めば、恋愛運アップだと!」
 おおおお、がんばる、と叫ぶ友人に、音羽は溜息を吐いた。
「湯川、そう思うんだったら俺のレポートを写すな真面目にやれ」
「だって俺これやらねぇと単位マジ落とすんだよ!」
「だから今俺が手伝っているんだろうが。帰るぞ」
「うわーまじまじまって! やめて音羽君!」
「……というかなんなんだその雑誌」
「妹の雑誌」
「……仲いいな、お前のところ」
 ひとまず湯川から雑誌を取り上げ、自分のレポートももぎ取った。友人はあーあーと呻きながら半泣きだが、知ったことではない。
 雑誌はコンビニでも見かけることのあるファッション誌で、開かれていたのは特集記事だった。
『特集! 血液型×星座占い 〜運命の恋を手にするには〜』
「音羽。お前血液型何?」
「Aだ」
「っぽい! めっちゃA臭い! えーっと、今月の恋愛運は」
「……お前、やる気本当にあるのか?」
「あるある」
「というかお前、それ女向けだろう。……湯川」
「好きな相手のこなした仕事を褒めてみましょう。財布のひもは引き締めること。ただし、大事な相手の為の出費は丸。相手を見つめ直す機会を作ることができます。運命の相手は、この記事を読んだその日に、最初に手を握った相手」
「人の話を聞け」
「あのさ、音羽」
 帰り支度を始めることで反抗の意思を示していると、神妙な声音で湯川が言った。
「真美のさー、手を握ってやるつもりはない?」
 音羽は面を上げた。真美とは、湯川の一つ下の妹だ。兄に似て音羽に臆することなく、また音羽に関わろうとする女にしては媚が全くないところが気に入っていた。あくまで兄の友人として音羽を扱い、必要以上関係を結ぼうとしてこない点も――ふと零す、はにかみ笑いに含まれる恋情に、気付かぬほど自分は疎くもないけれど。
『あんたをふつうのおとことしてあつかうひとは、わたしいがいにも、はいてすてるほどいるよ、おとわ』
 それは女であったとしても例外ではない。
(そうだな)
 おまえの言う通りだ――と、自分と家族であることを貫こうとする強情な女に同意した。
「大変複雑な気分なんだけどなぁ……。お前としてはどうなんだろなあって、兄的には探りを入れたいわけよ。駄目なら早いところ引導渡してやりたいし」
 どう? と友人が首を傾げる。
 音羽は目を伏せて呟いた。
「嫌いじゃない。あの子のことは」
「じゃあ」
「湯川、やる気がないなら俺は帰る」
 音羽は荷物を手に立ち上がった。
「忙しい」
「うっ、えっ」
 あぁ、まてよ! と焦った湯川の叫びを、扉で遮断する。
 湯川の母に挨拶をして、音羽はそのまま玄関を出た。


 ぎりぎりで仕上げた割に、レポートはまずまずの出来だった。
 特に最後に見直したときに矛盾点に気付き、うまく書き直すことができた。それにはほっとしているが――とにかく、疲れた。
(あー今日は美味しいもの食べたい)
 奮発して料理に使う野菜の種類を増やそう。遊は鞄の中から広告を取り出した。クーポン券を兼ねた複数枚の広告。今日の日付だと少々遠回りのスーパーがバカ安市をしている。
(あー、これ音羽ん家に近いスーパーだ)
 大学進学にあたり、独り暮らしをすることに、妹尾家父はいいですよーの二つ返事だったが、一つ条件を付けた。近くに音羽を住まわせることだった。「なにか危険な目に遭ったとき、ちかくに男がいると楽でしょう」が、集の弁だ。
 自分たちは別々の大学に通っている。その丁度中間の位置に、それぞれアパートを借りて生活している。自分も彼も勉学、バイト、サークルと多忙を極めているため、顔を合わせることは滅多にない。ただ交友関係はなんとなく把握している。互いの友人に会ったことはないけれど。
 好きな人ができた、と報告したとき、音羽はそうか、と言って、頭をぐしゃぐしゃにして、振られろ、と笑った。縁起でもないことをいうなと叫んで、軽口を叩いて、別れた。その後、メールや電話は近況報告のためにたまさかするが、直に会ってはいない。
(いや、べつに、あいにくいとかじゃ、ないんだけど)
 ただ、切っ掛けがないだけだ。
 しばらく会っていないな、と思いながら、買い物籠に野菜を放り込んでいく。
(お肉も食べようかなぁ)
 にくにくにく、と思いながら陳列棚に一つ取り残された国産牛肉に手を伸ばし。
 横からふいに伸びた手を、誤ってわっしと掴んだ。
「ひっ!」
 自分で掴んでおいてなんだが、パッケージとは明らかに異なる、骨格はっきりとした手の感触に、遊の方が悲鳴を上げて飛び退る。
 次いでに足を滑らせ、危うく頭からひっくり返りそうだったところを、手を掴まれて事なきを得た。
「すみません大丈ぶ――……と、なんだお前か」
 片手に買い物籠を提げ、空いた方の手で遊の手を支えているのは、他でもない音羽だった。


 遊が目を瞬かせて、音羽を見上げている。ぽかんとしたその様子に首を傾げながら、彼女の身体を引き上げた。
「おい、ちゃんと立て」
「あ、と、ごめん」
 遊の様子が妙におかしい。音羽の顔と手をぼんやりと見比べている。何をしているのだ、と眉をひそめた自分の脳裏に、ふと友人の言葉がよぎった。
『運命の相手は、この記事を読んだその日に、最初に手を握った相手』
 馬鹿馬鹿しい、と思いながら手を離す。
「なんだお前、今日はこっちで買い物か?」
「うん。バカ安市してたから。なんかお肉と野菜を一杯食べたい気分だったんだ」
 ほら、と見せられた籠の中には、彼女の言を証明するように野菜が山と放り込まれている。この量を一人で消費するつもりなのか、この女は。眉をひそめた。
「どうやって調理するつもりなんだ」
「や、作って冷凍しておけばいいかなって」
「……その緑ものは冷凍したらダメになると思うんだが」
「あー……そうだね」
 どうしようかなぁ、と籠の中を覗き込み始める遊を、音羽はまじまじ見下ろした。
「……珍しく大人しいな。体調でも悪いのか?」
「珍しいは余計だよ! レポートしてて、ちょっと疲れてんの。今日締切だったから」
「……お前、レポートは余裕をもってしておけよ」
「わかってるよ!」
 ちょっと忙しくて、忘れてただけなんだって、と主張する彼女に、音羽はわかったわかったとぞんざいに相槌を打った。わかったから、黙ってほしい。煩い。
 だが遊が疲れているのは本当らしく、野菜を眺めてうんうん唸る様を見れば、思考がうまく回っていないことは明白だった。感覚で生きる彼女の決断は、元気であれば誠に早い。
 音羽は自分の籠を見た。湯川の言葉を考えながらぼんやりと放り込んだ品物には統一性がない。俺はこれをどうするつもりだったんだか、と、乾燥うどんとトマトソースの缶を眺めて溜息を吐いた。
「会うのも久しぶりだし、何か飯でも食いにいくか?」
 音羽の提案に、遊はきょとんと瞬いた。
「あー私、バイトの給料前なんだけど」
「奢ってやるよ」
「お……おとわがめずらしくやさしいこといってる!」
「……やっぱやめるか?」


 音羽は眉間に皺を寄せて、遊の返答を待っている。
 遊は自分が給料前ということは、彼も同様だと気が付いた。音羽とて裕福な人間ではない。集は学業に支障が出ないように学費と最低限の生活費を息子に保証していたが、贅沢する余裕は与えなかった。携帯などの雑費や小遣いは全て音羽自身が稼いでいる。
 そんな彼が奢るというのも妙な話だった。何が裏があるのでは、などと、つい勘繰ってしまう。
 身構えた遊はふと、彩恵の言葉を思い出した。
『金運も吉。相手の申し出に素直に従い甘えてみれば――……』
(恋の相手じゃなくても、有効なんだろうか)
「で、どうするんだ?」
「うん。ごちになります」
 音羽は微笑み、レジの方へと歩きはじめる。
「……最初から素直に言えばかわいいと思ってやるのに。猫ぐらいには」
「猫か! ふつうに人としてかわいいとかゆってみなさいよ!?」
 その背を追い掛けながら、こみ上げたおかしさに、遊は口元を綻ばせて物申した。


「それにしてもおんなじ品物をとって手を掴んじゃうって超べたなシチュだよね! ドラマでもいまどきなくない? なのに結構やらかすというか……てか私、音羽といるとけっこうレアな体験する気がするんだよね。音羽が着替えてるところに踏み込んじゃうとか」
「……お前な。普通は逆だ逆。というか、脱衣所に入るときはノックしろ!」
「あれは棗ねーさんがさぁ、入れっていったのよ? ふつうそう言われたら誰も入ってないって思うじゃん。いやあの時も本当になんつーお約束展開って思ったよ。誰の陰謀だこれは! って」
「本当にな。誰の陰謀なんだ……運命か」
「運命?」
「あ? あぁ、今日なんか……そういう話が湯川から出て」
「ふうん? 湯川くんロマンチストなの?」
「さぁ」
「あぁ、でも私も今日彩恵ちゃんが言ってた。うんめいの――……」
「……奇遇だな」
「うん。……本当だね」
「お前は信じるか?」
「何を? 運命?」
「あぁ」
「そうだねぇ……まぁ、信じたくなるときも、あるかな」

 何もなければすれ違うこともなかっただろう自分達が、影を並べる、この奇蹟についてだけは。


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