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お盆休み


「音羽って、なんかあんま他の二人と似てないよね」
 みっちゃんの手の爪をパールホワイトに塗っていた私の口から何気なくこぼれた言葉は、普段から思っていたことだった。
「他の二人って、隻君と叶君のこと?」
 怪訝そうに面を上げたみっちゃんの代わりに私に問いかけてくるのは、傍でスカイブルーに足の爪を塗っていた朔さん。私はうん、と頷いた。
「そうですね、似てないですね」
 私に同意したのは、爪を塗られるため、大人しく私に両手を差し出しているみっちゃんだ。
「叶のあの表裏の激しさ、どうにかしろって思います」
「音羽はそこまで表裏激しくないもんなぁ」
「あと甘えたなところもどうにかしろって思います」
「……なんか、恨みこもってるわね、みっちゃん」
「日ごろの行いに対する不満なだけです」
 普段のみっちゃんと叶君がどんな感じで生活してるのか激しく見てみたい。私に対して、そんなに激しく甘えたりしないし、叶君。
 でも、口先尖らせている割に、みっちゃんの表情は穏やかだった。不満だとか嫌だとかいうけれど、どこまでが本気なんだろう。みっちゃん本人に聞いたら、全部本気ですよって返されそうだけど。
「確かに、みんなかなり違うわよね」
「あそこまで似てないひとたちっていうのも、珍しいですね」
「顔も……似てるようで似てないもんね。同じ美形でも」
 みっちゃんの爪をパールホワイトに塗り終えて、次にベビーピンクのネイルラッカーを手に取りながら私は言った。
 音羽は口を開けばあぁだけど、物静かな感じのある美形だし、隻にーさんはあの親しみやすい穏やかさが前面にでている。一方、叶君は、大きくなって男の子になったけど、少しやんちゃっぽい感じがする。顔立ちは確かに似ているのに、でも切れ目だとかどんぐり目だとか垂れ目だとか、そういう感じで微妙に違っていて、唇の薄さもやっぱり違う。肌の色、目の色、髪の色、質感だって。
 完璧だというバランスと、人目をひきつける圧倒的な雰囲気だけが、同じで。
「似てるところー……似てるところ?」
「ないかも。ただ、隻君は胡散臭いよね」
 さ、朔さん……自分の旦那を胡散臭い呼ばわりしましたよこの人。でも私もすかさず同意した。
「音羽も胡散臭いよ」
 そうしたらみっちゃんが不満そうに言う。
「え? 叶が一番胡散臭いですよ」
 私たちは思わず笑った。
「あ、胡散臭いのは一緒なんだ?」
「だね」
「ですね」
「じゃぁ、そこが共通点かー」
 他になんかないかなぁと呟いていると、みっちゃんがぼそりと言った。
「やさしいところ」
 この発言には、私と朔さん二人とも驚いた。
「え!? みっちゃん叶君優しいと思ってんの!?」
「何か優しいことされたの!?」
「……お二人とも、その発言かなり問題あると思うんですけど……」
 呆れた眼差しを私たちに向けて、みっちゃんが言う。
「音羽さんも隻さんも、優しいじゃないですか」
「音羽をはっきり優しいっていってやるとなんか悔しい気がするけど確かに優しいね」
「うーん。優しいんだけど、なんだかその優しさがむかついちゃうときもあるのよね、隻君」
「……微妙にひどい扱い」
『身内だから!』
 あ、綺麗に声揃った! なんかうれしい。
 みっちゃんは肩をすくめて、言葉を続ける。
「叶も優しいですよ。私に優しくないだけで」
 つまるところ、みっちゃんが言いたかったのはそこみたいだった。どうして私だけなのかなぁと呟いている。うん、いやむしろ、君だけが特別扱いされてるんだって、気付こうよみっちゃん。
「あと、天然タラシですよね」
「ぶはっ!」
 みっちゃんの発言に、思いっきり噴出しちゃった。ごめんみっちゃん。唾とんだかもしれない。
 一方、朔さんがみっちゃんの言葉に大いに頷いている。
「血筋よねぇ。天然タラシ一家」
「棗ねーさんは違うのに……」
「なんであんなにフェロモン垂れ流しなんでしょう」
「フェロモン駄々漏れ! 歩く香水みたい!」
「あはははははは!」


「……なんか上、賑やかだねぇ」
 テーブルの上に経済誌を広げ、頬杖をつきながら読んでいた隻が、天井に視線をやりながら呟く。そうだな、と俺は同意した。
「女三人揃えば姦しいとはよく言ったもんだ」
「朔ねーさんたちが揃うと、ホント賑やかだよねー」
 膝の上に乗せた漫画の雑誌に視線を落としたまま言うのは叶。居間にはこの三人だけが揃っていた。棗は今真砂を駅まで迎えに行っていて、集はふらりと姿を消している。ま、そのうち戻ってくるだろう。
「そういえばお前、この間、高校停学になったんだって?」
 テレビを見ていた俺は、ふと思い立って叶に尋ねた。
「うん、なったよ」
 雑誌から視線を動かさず、叶の奴はあっさり肯定。
「そんときはありがと、隻」
「いーえ。どういたしまして」
 学校から呼び出しを食らった集が、そのとき日本にいなかったので、隻が代役を務めたのだ。
「どうして停学なんかになったんだ?」
 隻からおおむねは聞いていたが、改めて俺は弟に尋ねた。叶は即答する。
「むかついたから殴った」
「初対面の人間を?」
 俺の問いに、叶は初めて面を上げる。
「なんだ、隻から聞いてんの? だったら僕答える意味ないじゃん」
「何で初対面の人間を殴ったりしたの?」
 口を挟んだ隻に、叶がむっと口先を尖らせる。
「何度も答えたじゃん隻。今も答えた。むかついたから」
「理由がなけりゃむかつかないだろうが」
「発言が」
「どんな?」
「黙秘権行使」
 そういって叶は再び雑誌に視線を落とし始める。こうなると答えない。頑固なのはお互い様だ。
嘆息した俺は、ふと、隻が立ち上がる気配を感じた。
「おとわ」
「あん?」
 立ち上がった隻を仰ぎ見る。奴は叶の傍に立つと、俺のほうに向かってにこりと微笑んだ。
 何だ。何たくらんでやがるんだコイツは。
 隻はおもむろに屈み、叶の腕をがしりと掴む。
「え? え? 何!?」
 弟の体を畳の上に押さえつけて、隻は笑った。
「くすぐれ!」
「なー!?!?!?」
 驚きと憤りに叫びを上げる叶とは対照的に、俺は隻の悪巧みに乗ってやった。弟の足を押さえ込み、思いっきりくすぐってやる。
「あははははっってうわやめあははははちょ、くすぐったいじゃん本気やめ!」
「きちんとした理由もなく人を殴ったらだめだよね?」
「大人しく答えたらやめてやるぞ」
「こぉのー馬鹿兄共はっつあはははは!!!」
 青筋が浮かんでいるのはわかるが、なにぶんくすぐったすぎて息が継げないらしい。怒声もすぐに笑い声に取って代わられる。くすぐり続けることしばし、弟が呼吸困難でぐったりしたのを確認し、俺たちは拷問を一時中断した。
 息絶え絶えながらも、口を閉ざし続ける弟に、呆れて呟く。
「頑固な……」
「お、たがいさま、じゃん……」
 ぐったりしながら呻く叶は、ある意味天晴れだ。俺は隻と、やれやれと視線を交わした。
「判った。正確な理由は答えなくていい。イエスノーで答えろ」
「……えー?」
「理由は女か?」
 俺の問いに、叶の目が一瞬見開かれる。ぎょっとしたのだろう。だが、答える気はないらしい。
「なんかさー」
 叶の両肩を押さえ込んだまま、隻が言う。
「俺、集の代わりに学校行ったときに、みっちゃんに、ごめんねって謝られたんだけど、アレ、なんで?」
 隻の微笑は穏やかだが、好奇心に満ちている。にぃ、と吊り上げられた口元と、楽しげに細められた目元。
 訳のわからない憶測を立てられてはたまらないと思ったのか、叶が降参したように呻いた。
「だって、あいつ、みちるのことを――……」
 その先までは答えない。
「腹が立って、気が付いたら、殴り飛ばしてたんだ。これで、いいだろ」
 叶は俺たちの手足を乱暴に振り払って身を起こし、その場に胡坐をかく。殴られた相手は、叶の幼馴染に何をしでかしたのだろう。些細なことだとは、思うが。
 自分のことで誰かを殴るようなことなど皆無なのに、幼馴染に関しては己の風評を気にすることなく、怒って喧嘩をふっかけることのできる弟が、なんだか微笑ましく思えて、俺は思わずその頭を撫でた。
「――っ! 撫でんな!」
「あ、俺も撫でる撫でる」
 俺の行動の意図が読めたのか、楽しげに隻も叶の髪をかき回す。
「あー! もう! なんだっていうんだよ!?」
 完璧に玩具状態の叶は、叫びながら俺たちの手を振り払っていた。
「まぁさー、実は俺も人殴ったことあるからねー、朔のことで」
 振り払われた手を畳について、はは、と笑いながら隻が言う。兄弟で一番手を上げない奴が、一体何に怒って誰に拳を振り上げたというのだろう。
「あんま人のこと言えんよね」
「……そういや俺も殴ったことあったな。遊のことで」
 多分棗を除いて、兄弟では俺が一番喧嘩っ早いが、苛立ちだけで相手を殴るようなことはまずないと思う。それでも――昔、遊に悪質な悪戯を仕掛けた女たちを、容赦なく殴ったことがあった。
「あれは、確かに、理性飛ぶな」
「なんだ、俺ら三人とも、似たような理由で誰かしら殴ってんの?」
「うえー、何ソレ」
「そもそもそんなところ、誰に似たっていうんだ?」
 兄弟三人それぞれ違う場所で、同じようなことをするなどと。
 俺の問いに答えたのは、兄弟たちの誰でもない。
「それは、ワタクシだと、おもいますよーん」
「うわ!」
「わっ!」
「お前、どこから沸いてでた!?」
 突如にゅっと顔を見せた集に、俺たちは三人揃って身を引きながら呻きを上げる。喧嘩上等と妙に達筆な文字で書かれた扇子で自らを扇ぎながら、妙に能天気な笑いを上げていた。
「いっやぁ、昔はよく、緑子さんのことをからかった人たちを、半殺しにしたものです。あっはっは」
 ……あっはっは、じゃ、ないだろ。
「気が付いたら、殴ってしまうんですよねー」
「うわぁぁぁヤダ! それって僕ら集に似てるってことじゃん!」
「最悪だ……」
「あ、俺昔のことは忘れておこう」
 三者そろって俺たちは顔を思いっきりしかめる。その嫌がりように、集は扇子を裏返して目元に当てた。
「しくしくしく」
 裏面には、お父さんは辛いよ、と書かれている。……一体、どうなってるんだその扇子。
「ワタクシに似ていることが、そんなに嫌なんですか?」
 集の問いに、俺たちは綺麗に声をそろえた。全力で。力拳すら作って、訴える。
『いっっっヤダ!!!!』
「おおぉおおぉとうさんはかなしいぃいいぃいぃ!」


「……なんか上も下も賑やかねぇ」
 玄関の戸を開けると、ひどく騒がしい。二階にいるのは朔に遊、みちるといったところか。下にいるのは男連中だろう。
「楽しそうですね」
 そう話しかけてくるのは、妹分の真砂。彼女は続けて、傍らにいる子供たちが黙って靴を脱ぎ、上がりこもうとするのを見て、叱咤する。
「こら! おじゃましますの挨拶は!?」
「おじゃましまーす!」
「こんにちはー!」
「ただいまー!」
 幼い真砂の子供たちは、棗の娘と連れ立って賑々しい家の中に飛び込んでいく。その声に反応して、二階から朔たちの声が振ってきた。
「まさごさーん! おひさしぶりー!」
「こんにちは、真砂さん」
「こんにちはー真砂さん、あ、先輩もお帰りなさい!」
 ぶんぶんと手を振る遊の隣で、顔をのぞかせる朔とみちるがそれぞれ挨拶を口上する。
「お久しぶりです、皆さん」
 真砂も手を振り返す。やがて遊たちは連れたって、階段を下りてきた。
「荷物運ぶの手伝いますねー」
「ほんとお久しぶりです真砂さん」
「久しぶりです朔さん、お元気でした?」
「私麦茶用意してきます」
「あ、いいわよみっちゃん私やるわよ」
 会話を交わした刹那、奥の居間から子供たちのぎゃーっという叫びが聞こえる。真砂が蒼白になって、慌てて居間へ飛び込んでいった。間をおいて、今度は逆に笑い声。
 短くとも寂しさが一分も入り込む隙のない、賑やかな盆休みの始まりは、そのような感じだった。


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