親子(女王の化粧師)


 またしばらく国を空けるらしい。
 クラン・ハイヴに続いて、今度は小スカナジアだという。
 留守の前に一度と許可を得て帰省したダイは、厳しい顔つきをしていた。明るく近況を語るけれども、言葉を注意深く選んでいる気配があり、ダイの周囲の状況があまりよくないものであることを感じさせる。
 やや憂いのある眼差しはずいぶんと大人びていた。この花街から巣立ったときのあどけなさは払拭されている。背丈や手足が年相応に伸びて、長いまつ毛を伏せるさま、首のちょっとした傾げ方が、往年の彼女の実母を連想させた。
 リヴ。
(よくここまで似たよ)
 顔つきがあまりに違うから、立ち振る舞いや衣装が洗練された男のものだから、色合いが父ゆずりだから。
 錯覚しないだけ。
 もしも彼女がその艶やかな黒髪を背に流し、薄絹を纏って閨のなかで微笑めば、きっとリヴを知る者は戦慄するだろうし、何も知らぬものはふらふら誘われて、狂わされていくだろう。
「……アスマ? 聞いていますか?」
「あぁ……ごめん」
「考えごと?」
「少しね」
 お疲れですね、と、ダイは微笑む。あんたもね、という言葉をアスマは呑みこんだ。
 本当に、青白い顔をして。
 疲れたね、と、アスマは言って立ち上がり、戸棚へ向かう。扉を開けて中を漁っていると、ダイから声が掛かった。
「こんな早い時間に? それにわたし、今日は薬飲んでないので付き合えません」
「酒じゃないよ。ここに……あった」
 アスマはダイに箱を見せた。
「昨日、客に貰ってね」
「それ、美味しい焼き菓子ですよね。果物の砂糖漬けが載った……」
「……よく知ってるね」
 アスマは卓の上に箱を置いて蓋を開けた。
 ダイが述べた通りのものが入っている。
「食べたことがあって……」
「へぇ、わざわざ店で売られているもん買ったりするんだねぇ」
「……昔に」
 ダイは微かに目を伏せてひっそりと笑って言った。
「甘い物、好きみたいなんですよね。実は」
「へぇ?」
 アスマは目を瞠ってダイを見た。芸妓たちが客から贈られる菓子の相伴にあずかる姿は滅多に見なかったし、そもそも食べ物に頓着していなかったように思うのに。
 そっと焼き菓子に手を伸ばすダイを見て、アスマは笑った。
「そういえば、エムルが好きだったね」
「……お父さん?」
「そう。甘い物ね。茶でもなんでも砂糖か蜜を入れてたし、そういう菓子にも目がなかった」
 懐かしさに目を細める。
 思えばダイは外見こそ母親似だが、気質はまるきり父親譲りなのだ。
 アスマを見つめ返す眼差しに彼女の父親の面影を見て、ダイはやはりあのふたりの娘なのだと改めて認識する。
 もくもくとおいしそうに菓子を食べる娘をしばらく眺め、手元が寂しくなって、アスマは立ち上がった。戸棚から葡萄酒を取り出す。
 するとダイが顔をしかめた。
「アスマ、やっぱり飲むんじゃないですか」
「いいだろう少しぐらい」
「ほどほどにしてくださいよ。年齢考えてください」
「人を年寄り扱いするんじゃないよ、この子は」
 べち、と、ダイの頭を叩く。いたいなぁ、もう、と、呻いて、彼女は口を尖らせた。
 杯に酒を注ぎ入れながら、アスマはまったく、と息を吐く。
「そういう口うるさいところは誰に似たんだか……父親に似たのかね」
 エムルも妙なところで細かかった。
 何を言っているんですか、と、ダイが半眼になる。
「アスマに似たんですよ」
 責任転嫁はしないでください、と、彼女は言って、ぬるくなった紅茶を啜った。