すれ違う影
無邪気にその人が笑いかけてくるたびに苛立った。私を好きだと躊躇いなく告げてくる人。強いふりをしながら、その人は弱く卑怯だった。そして自らその卑怯さを自覚して途方に暮れ、己を嫌悪していた。
腹立たしかった。強くあってほしかった。私の世界に理解を示した人。他人を思いやるあまりに傷ついて壊れていく優しい人。自分のために生きられない卑怯な人。
弱いのに、突き放しても私を好きだと躊躇うことなく告げてくる、その曇りのない強く美しい眼差しが、怖かった。
声を聞きたくはない。
顔も見たくはない。
傍にいたいとも決して思わない。
時折私の傍に佇むその人の存在は、常に疎ましかった。
ただ腹立たしいばかりであるのに。
視界の隅で姿を探した。
その人影に欲情し。
折れるほどの力を込めて抱きしめたかった。
細長い指と磨かれた爪の美しさと、華奢な肩の線を知っていた。
吐き気がした。
自分の世界に最初に踏み込んできたのは相手だった。どうしてついてくるのと苛立ちを込めて尋ねた自分に、人恋しいからと屈託なく笑って言い放った。
凍えていた私に自らぬくもりを分け与えた。私が、常にぬくもりに餓えている、弱い獣だと知っていたでしょうに。
腹立たしかった。そして焦がれた。私がほしくてたまらないものを全て持っているその存在。性別、叡智、自分を貫き、孤独に耐えうる強さ、そして自由。
他人に優しさを与えて壊れることより、他人を傷つけ永遠の孤独を貫いて生き延びることを選んだはずなのに、自分が孤独であることを許さない卑怯者。
孤独であることを知らないふりをして、一人は嫌なのだと怖いのだと、縋るように訴える、哀しく弱い、けれども冷えた眼差しに、私は惹かれた。
声を聞きたくはない。
顔も見たくはない。
傍にいたいとももう決して思わない。
互いの存在は互いに隠している傷と弱さと卑怯さを、暴くだけなのだと知っている。
その存在を思うだけで、苛立たしいのに。
視界の隅で姿を探す。
瞼の裏に残像を見る。
肌が熱に焦がれて存在を請う。
力強い手のひらと、鍛えられた身体の線と、孤独な背中を知ってしまった。
二度と会いたくないのに渇望している。
その矛盾に吐き気がした。
まなざしのつよさにぞうおをおぼえる。
まなざしのこどくにじあいをおぼえる。
からだをだくうでにけんおを。
かみをすくゆびにあいせきを。
心を裏切って影だけが重なる。
古く優しい記憶の影。
影に伴う熱の残滓は、憎しみとも愛情ともつかない何かを燻らせるだけ。
私たちは甘いお菓子と笑顔と美しい景色を分け合った頃のように、もう互いを理解することはない。
矛盾した感情に吐き気を覚え、思い出の抜け殻を底に沈める。
互いの存在を拒絶して、理解しあうことはもう永久にないまま。
今日も影はすれ違う。