浴衣(金環蝕)



 だだだだだ、と駆けてきたかと思うと、まだ年端もいかない童女は頬を紅潮させてラヴィの前に膝を突いて身を伏せた。
「しょうぐん! おかえりなさいませ!」
「うん。ただいまヤヨイ」
 名前を呼ばれた童女はぱっと顔を上げて気恥ずかしそうに笑った。前回里に立ち寄ってから一年強が経っている。この年頃の子の成長は早い。背もまた伸びたようだ。
「元気だったか?」
 ラヴィは尋ねた。はい、と童女は首を縦に振って――やけにもじもじとしている。何かの話を切り出そうとしていることは明白だった。
「ヤヨイ?」
「しょ、しょうぐん! おねがいがあるのです!」
「ん? 悪いけどまだ一緒には連れていけないぞ?」
「わ、わかっております。そうではなくて、あの、その……さいすんさせてください!!」
 そう言って童女はどこからともなく巻尺を取り出した。突然のことに面食らっていると、ヤヨイは緊張に頬を上気させたまま言った。
「ヤヨイは、しょうぐんのおゆかたをぬいたいのです……!!」





「な、なんでまだ着ていらっしゃるんですか……?」
「え? まだって……いま風呂上りに着替えたばっかだけど」
 肩に手ぬぐいを引っ掛けてほかほか湯気をまとう将軍がきょとんと瞬く。ヤヨイは、違います、と低く呻いた。
「そういう意味じゃなくて……! それ、私がちっさいころに縫った浴衣じゃないですか! なぜまだ持っていらっしゃるんですか! 脱いでください! 焼却処分しますから!」
「ちょ、ひっぱんな! まだ着るよだって悪くもなってないのに。着心地いいし、変なとこひとつもないぞ?」
「そんな風に持ち上げてくださらなくても結構ですから今すぐ脱いでくださいやだもう! ひどい将軍!」
「いや……俺、褒められてもいいとこだよな? この場合な……?」
 将軍は一向に脱ぐ気配を見せない。ヤヨイは部屋の隅で頭を抱えて丸くなった。
 里の女は幼い頃から家事全般を叩き込まれて育つ。特に針仕事は重要視されていた。布地に術式を組み込む仕事が頻繁にあるためだ。
 将軍が湯上りに来ている浴衣はヤヨイが初めて縫い上げたものだった。どうしてそんなものを他人にあげようなどと思ったのか。過去の自分はそこに正座してほしい今すぐ説教である。
「ほ……本当にやめてください。縫い目もほんと……がたがたで……ひどいんですから……」
「そうか? 上手に作るよなって皆褒めてたぞ」
「……誰に見せたんですか?」
「え? だれって……皆?」
 国の、という将軍の返答に、ヤヨイは眩暈を起こした。
「見せないでくださいなんでそんなことするんですか!!!」
「こんないいもんもらったら自慢したくなるだろ?」
「いやああああああやめてくださいひどい将軍ひどい!!!! 今すぐ脱いで! 本当に脱いでください!」
「え? 今すぐ? 本当に? 脱いでいいの?」
「あっ、待ってください私が部屋を出てから脱いでくだ……やぁもうなんですぐ脱ぐんですかっ!!」
 とりあえず急いで退室し、将軍が服を着替えるまで待つ。
 戻ると、浴衣は消えていた。
「……どこにしまったんですか……?」
「国の俺の部屋。送り返した。焼却されるのヤダし」
「……捨ててください……ほんとうに……あたらしいの縫いますから……」
 数日後、ヤヨイは一着浴衣を縫い上げて彼に献上した。
 が、古い浴衣はとうとう最後までヤヨイの手元に戻ってこなかった。




「そういえばヤヨイが小さい頃って、服もそうだし、覚えた料理とかも片端から作ってくれたよなー」
「いやああああああ思い出さないでください恥ずかしい!!」