生きるために刃を(双獣の王国)



「ねぇサラン。貴方はどうして私についたの?」
 今日の夕食当番はサランとソレイユで、タラックとアッミドはまだ毛布に包まって眠っている。夕刻の時間であっても、まだ日中の熱が砂に残っている。そんな中、ソレイユは焚き火のすぐ傍で、薪を火の中に放り込んでいた。干肉を切っていたサランは、携帯包丁を持つ手を止めてソレイユを振り返る。彼女は冷たい美貌を、炎に向けてサランを見ようともしなかった。
「あなたは馬鹿ね。リスメルについていれば、こんな風に砂塗れになって国境を越えたりなんてしなくてもよかったんだわ」
 ソレイユの瞳には炎の橙がうつり揺らめいていた。片方だけ銀の宿る七色の目。もう片方が、南大陸の王族でのみ見られる鮮やかな緑。炎に向けられたどちらの瞳も虚を宿していた。
「そもそも、貴方も義理堅いわね。貴方の主人の願いをかなえるために、私なんかについてこなくてもよいのよ」
「俺の今の主人は貴方だ」
「そうね、貴方は今私の下僕だものね」
 ソレイユは薄く笑って、薪の炎に手を翳した。火の粉がちりちりと音を立ててソレイユの手のひらを焼く。だが彼女は少しも避ける気配はなく、サランは仕方なく包丁を置いて、彼女の元へと急ぎ歩いた。
 少女の身体を背後から抱いて、一歩、下がる。
 ソレイユはサランの腕の中に納まったまま、まるで人事のように火傷した己の手のひらを見た。
「熱いわね」
「当然だろう。薬を塗らなければ傷が残るぞ」
「いいのよ。私の手はどうせ傷だらけだわ。貴方のご主人と違ってね」
 言うソレイユの口調はとげとげしい。何時になく、彼女は情緒不安定なようだった。
 いい加減にしろ、とたしなめるつもりで口を開きかけたサランは、次のソレイユの言葉に息を呑まざるをえなかった。
「だから、いい加減私に貴方のお亡くなりになったご主人を重ねるのはおやめなさい。……目障りだわ」
 ソレイユはサランの腕を振り払い、歩き始めた。どうやら、サランの代わりに干し肉を切り分けるつもりのようだ。
 たどたどしい包丁の音を聞きながら、サランは目を閉じた。
 ソレイユとファルトは似ていない。ソレイユは明らかに南の民の容姿をしている。色彩鮮やかな民だ。一方ファルトは、雪のように青白い肌、闇色の髪をしていた。あの、今でも思い出せる炎の色の瞳だけが、ただ鮮やかだった女主人。
 最後には、自ら命を絶った。
 似ているとすれば、その、危うさが。
 サランは嘆息した。決して彼女とファルトを重ねてみているつもりはなかったが、女の勘は想像以上に鋭敏だ。サランは似ていない、と自分に言い聞かせて不器用に包丁を扱う少女の下へと歩み寄った。
「ねぇ、これ、ちっとも切れないわ。このままじゃごはん食べられないじゃない」
「きり方が悪いんだ」
「何よ、私が悪いっていうの?」
 サランはソレイユの手から包丁を奪うと、肉に刺した。すとん、と綺麗に切り身一枚がはがれる。ソレイユは渋面になりながら、もう一度やるといってきかなかった。どうやら、技を習得するまで包丁を放すつもりはないらしい。その様子を微笑ましく思いつつ、サランは安堵していた。生きるために刃を持った少女と、自らの命を絶つために刃を持った女は、あまりにも似て非なるものだということを再確認したからだった。